2010年8月31日火曜日

直木賞受賞作に想う

「小さいおうち」 中島京子

 芥川賞と並び 多くの話題を呼んでいる此の作品を知りたくて雑誌「オール読物」9月号を買った。
受賞された中島京子さんの 写真と 選んだ方々の選評に続く「小さいおうち」。(30何ページかに上るが、第二章迄で その後は「あらすじのみ・・・」)。

 読み進めるうちに、些細なことだが酷く疑問を感じ 調査不足への不満が拡大する。
本筋とは無関係と云いながら、時代考証不足は 読者の不信感を招き、作品そのものへの興味を損なう。
 ただ普通に掲載された小説ならいざ知らず、これだけ「錚々たる選者諸氏」が選ばれた作品なのに、何故誰も気にしなかったのか 不思議でならない。
 それも 遥か何百年も昔の史実ではなく、まだまだ当時を知る人間が多数生きている昭和初期の事。
しかも此の作品は 「主人公の老女が 時代の流れを実際の生活を通して語りたい」との発想を設定し、書かれている。それなのに、生活の中での間違えはどうしても消し難い不信感を残す。

 例えば「女中」という名称に続くくだり。
「昭和の初めになれば、東京山の手のサラリーマン家庭では、女中払底の時代になっていたのだから、「タキや」と呼びつけにされるようなことは一切なく、かならず「タキさん」と「さん」ずけで呼ばれ・・・」の一節。
 私の記憶の中では「父方の祖父母」「母方の祖父母」両方の家には 常に複数の女中が居り、その呼び方は必ず「・・や」であった。
上海生まれの私は父母と共に度々東京に帰国したが、この呼び方は我が家だけでなく 近隣のどの家でも同じであった。幼かったと言え、私の記憶は鮮明である。
 当然、昭和5年に東京に出て女中になった主人公は「・・や」と呼ばれた筈。昭和5年と云えば 私の生まれる何年か前の事。
しかも当時は まだそれほど女中払底ではなかった。

 女中探しに苦労し始めたのは太平洋戦争が始まって2年程後。
祖母が女中探しを出入りの人に依頼していたのを記憶している。
但しこの時代については作品第三章以降なので詳しい記述は今回の「オール読物」では省略されているが。

 一方、作品中にある、甥の若い息子から反発される「女中は行儀見習い・・」の部分は あながち間違えでは無い。
当時、東京に出て良い家で女中として働くのはかなり「誇れる事」だったと知ったのは はるか後年になってからの事だが。
 父方祖父の生まれた九州に出かけた時、訪ねてくれた女性から「彼女の身内の一人が、東京の祖父の家で女中を経験した事が とても大きな自慢の種だった」と聞き、「女中が幾人も居た理由」を納得したものである。
 どうやら、女中には2種類あり、何年も務める「家付き女中」と「ある期間、行儀見習いをした後、時には嫁に出してもらう事さえある女中」がいたとも思える。この点は 此の作品に書かれているのは正しい様だ。

 いずれにしても、多くの人が知っている事を 限られた知識のみで断定的に書くのは非常に難しい物。今後の中島さんのご活躍を期待しながらも、「書く事の難しさ」を 改めて教えられた思いで読んだ此の作品であった。