2010年11月23日火曜日

[伝説のトランク100・ルイ・ヴィトン

 凄い本がルイ・ヴィトンから出版されました。

 著者は創業者ルイ・ヴィトンの 直系五代目に当たるパトリック・ルイ・ヴィトン、及び執筆活動で知られるP.レオンフォルト、文化遺産保存等で活動するE.ピュジャレ・プラ。

 本の厚さたるや5センチ近い上、正に興味しんしんの内容。
創業1854年以来、ヴィトンが多くのセレブ達のオーダーで制作してきた様々なトランクと 当時の時代背景・歴史とエピソード、沢山の写真や新聞切り抜き デザイン画まで 全てが収められています。
これを読むだけで 各時代の「贅沢な旅」を実感し、多くの「セレブの生き方」から 時代変化まで伝わってくる面白さは抜群。
 更に驚くのは こうした特別注文の技が 現在のヴィトンにそのまま受け継がれ、全てが伝えられて居る事でしょう。
 此の本の執筆者・パトリック ルイ ヴィトン氏は 直系五代目でありながら 一技術者として入社し 現在はヴィトン・スぺシアルオーダー部門・顧客担当責任者のお立場。
 「私は 職人だ」と御自分の事を言われます。

 このパトリックさんとは 素晴しい想い出があります。彼と御子息ブノア、私と娘の彩。御一緒に 山口から萩、津和野等3泊4日の旅をした事がありました。山口は私の遠い先祖の地。


 「室町時代、山口を西の京と呼び 約200年間繁栄した“大内文化”。 謀反で滅びたのが 大内家三十一代・大内義隆。

彼から数えて12代目に当たるのが私の父」。
 大内義隆の450回忌に当たるのが2001年だった事もあり 菩提寺の龍福寺を訪れたりして居りました。

 そこに パトリックさん達とご一緒し、法要にまでお付き合い頂いたのが此の旅。 雑誌「家庭画報」の企画でした。
 宿泊は全て和旅館、お食事も和食。彼にとっては 初めての体験と喜んで下さった 何とも楽しい旅だったのです。
 以来、彼は私の大切な「友達」なのです。

 所で 本の「日本語版創刊記念パーティー」に現れたのが 何と 私の大好きな本木雅弘さん。

 この場で 彼がオーダーしたベッド・トランクが御披露されました。
此のベッド・トランクは かつてフランスの探検家 P.S.D.ブラザがアフリカ コンゴ領権をめぐって出かけた1905年にオーダー制作されたものと同じ。
フランスでは誰もが知る高名な彼の業績、エピソードや絵・新聞そして実物写真までも 此の本に紹介されています。 これをオーダーされた本木さん“モックン”。
「子供の時から観てました!」と声を掛けて下さったのに甘え、ベッド・トランクの前で写真に収まって頂きました。

 「おくりびと」での感動そのままに、とてもピュアーな魅力溢れる彼。

NHKでのドラマ「坂の上の雲」での秋山真之役は 絶対に見逃せません。

 「新しい素敵」を次々と加える ルイ ヴィトンの「揺るぎない魅力の源」とも言える歴史的トランク達。
 現在・ルイ ヴィトン表参道店を広くしたのを記念して 展示されています。
ぜひ 一人でも多くの方々に 御覧頂きたいものです。

写真 ・「伝説のトランク100・ルイ ヴィトン」の本。
    ・パトリック ルイ ヴィトン氏を囲んで、ヴィトンのPR コミュニケーション ディレクター斎藤牧里ちゃんと娘・彩 そして私。
    ・本木雅弘氏と御一緒に。 オーダーされたベッド・トランクの前で。

2010年11月14日日曜日

肌保湿にアベンヌ ウオーター


 日毎に冬の気配濃くなるこの頃、肌の乾燥が気になります。

 私にとり これから 絶対に手放せないのが「アベンヌのウオータースプレー」。大ファン、信者とさえ言えそうなこの品。

 18世紀から「肌に良い水」として支持されて来た、南フランス生まれのアべンヌ温泉水。
南フランスの小さなアべンヌ村で湧き出す 自然の温泉水は あらゆる肌トラブルを抱える人たちを癒し続けて250年。
 現在は 此処に作られた「テルマリズム センター」に多くの人々が その治療にやって来るとか。

 「今から5億年も前のカンブリア紀に生まれた地層を40年かけて湧き出す此の温泉水」。
人工のあらゆるものを超えた 不思議な力で肌のトラブルを癒してくれます。
 
 これからの乾燥期 化粧の上からさえ スプレーすると、しっとり保湿してくれます。
風呂上がりには首、顔から手、脚までスプレーする私。
 特に冬場は、乾燥から痒くなることが度々でしたが これのお蔭で 何時の間にやら 回復しました。
 エアコンの温風も乾燥の素。スプレーで髪のカールの崩れが気になる時には 掌にスプレーし それを化粧の上から そっとなじませるのが「私流」。
 気がつけば 痒みは無くなり、肌もしっとり・・・私を虜にした理由です。

 アべンヌ製品には ウオーターの他に 優しい洗顔料から化粧水、美容液、クリーム 石鹸等など 実に沢山の製品が揃っています。
私がこの上なく愛用するハンドクリームも その一つですが、スキンケア、サンケア、ボディーケアの製品が沢山ある為、自分の肌状態に合わせて選ぶ事が可能なのです。

ピエール ファーブル ジャポン社 取り扱いは資生堂です。
写真はアべンヌ ウオーター スプレー 
50g  700円
150g 1500円
300g 2200円

 

2010年11月9日火曜日

尖閣映像に考える

 ユーチューブに流出された44分間の映像。

 誰が見ても強引にぶつけて来た中国漁船の酷さを非難する筈。
しかも、聞けばこの後 「海上保安部の保安官3名が 中国船に乗り移ったのを 漁船員達が海に放り出した」とか。正に命がけで「日本の領海を守る任務」を全うする保安官達。
 船長・漁船員達を拿捕するのは 当然である。
彼らを本国に帰してしまった挙句、その決定を「内閣の責任」とせず、記録映像公開をも 止めて来た政府のやり方には全く納得出来ない。
 もしも 早期に映像の全てを公開していれば、世界中の人々は日本の行動を支持しただろう。

 中国の顔色ばかり伺い、挙句の果てに、「映像流失犯人捜し」を優先させる千谷官房長官のやり方は正に「愚の骨頂」。
 管サンが国際会議で留守でも、全ての情報は 瞬時に伝え得る現代。官房長官だとて これ程の重要事項を 独自に判断し、勝手に進める等 もっての外。

 それ以前に 「明治28年(1895年)以来尖閣諸島が日本の領土であること」を 明確に 繰り返し 世界に示していれば 中国、ロシアの反応もかなり違うものになっていた筈。
 50年、100年先の我々の子孫の事を考えれば 今 見られる いい加減な行動がどれ程大きな損失を招くか、素人の私でさえ考えられる。
 
 自ら犯した愚行をよそに、映像流出犯人探しにやっきで、「守秘義務」「厳罰化」と叫ぶ千谷官房長官の酷さには ただ 呆れるばかりだ。
 こんな政治家達に 日本を任せて良いものか。 

 けれど 結局は こうした愚かな人々を選んだ我々選挙民の責任。
改めて我々自身の責任をシッカリと考え、二度と同じ愚行を繰り返さないよう 肝に銘じねば・・・と見守るだけの私である。

2010年11月4日木曜日

スワロフスキー クリスタル

カール ラガーフェルド デザイン
 「スワロフスキー・ジュエリー」

 今、世界的な大流行。多くの人々を夢中にさせて居る「キラキラ ピカピカのデコブーム」。

 アクセサリーは当然、バッグに服に 携帯からペンや爪に至るまで 何処を見てもキラキラピカピカ。 パリではエッフェル塔でさえ時間に依り キラキラ照明に変わったのが既に10年近く前の事でした。
 こんなブームを巻き起こした「大きな源」と云えば 「時代性」と それを支え続けて来たオーストリアに本社を置く「スワロフスキー」のカットクリスタルだと言って間違いないでしょう。


 既にかなり古くから クリスタルの研磨法やカラー、形その他に変化を加え 輝きや 種類を拡大させ、用途も置物やアクセサリー類、シャンデリアなどインテリアから 光まばゆいタイルに至るまで創りだしてきたのがスワロフスキーです。

 ファッションに関しても何十年にも亙り コレクション期間中に世界中からパリに集まるジャーナリストやバイヤー達に 新製品紹介展示を行い続け、同時に何人ものデザイナー達に素材を提供し、自由な作品作りを行って来ました。
 その結果が 現在見られる「デコブーム」を呼んだといえましょう。

 2010年には あのカール ラガーフェルドさえも作品制作を行い、その製品は日本でも販売される予定です。

 カール ラガーフェルドと云えば、シャネル、フェンディ、自身の名前を冠したブランド等で常に人気と大成功を収めるだけでなく、 写真家としても活躍する正に天才。

 今回のジュエリー、彼のイニシアルを象ったブローチや 永遠をイメージする円を使ったブレスレットなどがとてもチャーミング。

 ラガーフェルド氏と云えば 私にとって、沢山の思い出が数えきれない程あります。
 その中でも 忘れられないのは モナコに招待された時、飛行機で隣の席だった時の事。
 彼は様々な雑誌を 何十冊と買って乗り込んできました。
次々と頁をめくって見終わると、足元に落とす。その合間に「ここ、面白いよ」と私に渡してくれるのです。
モナコに着いた時にはほぼ全て見終わり、私も面白い部分だけを楽しませてもらった空の旅でした。
 「此の忙しい人が、常に時代を先に感じ取ってデザインする秘訣の一つの部分を覗いた」ような気がしたものでした。
 所でドイツ人の彼は 極く若いころから多くの人々に「ディマンディングだ」と云われて来たもの。
 その彼が21世紀に入る直前の事、コレクション後、マイクを向ける私に答えた後、私の手を両手で包み込み「いつも有難う!」と。
 こんな態度を見せたのは全く初めての事でした。
彼の中に「21世紀こそ 人の和と愛が大切」との想いが広がっていた為では、と感じたものでした。
 あの頃、私も含めて多くの人々は「21世紀こそ 平和と愛を共有する時代」と願っていたものです。でも実際には・・・


 現実の厳しさはさておき、こうして彼のスワロフスキー作品を眺める時、様々な事を改めて考えずにはいられない私です。
 写真 ・カールのイニシアル Kをデザインしたブローチ
     ・大きなスワロフスキーが輝くブレスレット