2011年2月24日木曜日

ニュージーランドの大地震

 
 2月22日 ニュージーランドの美しい街・クライストチャーチで起きた大地震。
最初の報道が伝えられた22日。そして 次の23日ともなると 地震の酷さ 災害の大きさと共に 此の地に語学留学の為 出かけて居た多くの日本人不明者に関するニュースが次々と伝えられ、TVはどのチャンネルも其の話題満載です。

 娘一家が住むのもこの国だけに 私にとって 特別な想いが在るのは当然。
ただ、彼等が住むのは別の島、北島にあるオークランド。
その距離は東京と四国ほどに遠い為 被害や、影響はゼロ。 
 とりあえず安心したものの関心は消えず 新聞記事やTVなど 沢山の情報を むさぼるように眺め続けたのは 云うまでもありません。

 この両日、たまたま風邪で 家に閉じこもって居た私。
電話が次々と入りました。 身近な方や 長い御無沙汰の方、全く思いがけない多くの人々から次々と頂く、お見舞いやお問い合わせの電話。その一方では メールもどんどん入ります。

 こんなにも沢山! 改めて 多くの方々が想って下さる「有難さ」が 胸に響き、身にしみる感謝を痛感しました。

 あの清らかで 美しいクライストチャーチの公園や、古い英国調の建物等を想い起こしながらも、被災された多くの方々の御無事を 心から強く願い 祈らずに居られません。

 同時に想うのは 同じ「地震国・日本」。
あの阪神淡路大震災や 続く各地での地震災害を考え、「もし 東京で都市直下型地震が起きたら 一体どれほどの被害になるだろうか?」。
 此の恐ろしさに身の凍る想いを味わった 今回のニュージーランド・クライストチャーチの地震。
 東京都知事選挙が 大きな注目を集める今、「この問題にも 真剣に取り組んでくれる人材に投票せねば!」と心に誓った私です。

 

2011年2月16日水曜日

大雪の想い出

 久しぶりに都心でも大雪。たったこれだけの雪でも大騒ぎ。道路は混むし 事故は多発するし・・・
改めて積雪の多い地方に住む方々の 大変なご苦労を実感しました。
 特に雪の多かった今年。雪おろしの事故で亡くなられた方々、ご苦労された方々に 心からのお見舞いを 申し上げたい気持ち一杯です。

 雪の夜には、様々な「雪に関する想い出」が浮かびます。

 何年も前の事、ミラノで大雪が降り、タクシーが全くいない朝の事。
市内中心から外れたその日のコレクション。行く方法は バスしか有りません。
 ホテルの人に相談し、バスに乗ったものの、途中から全く知らない方向へと向うではありませんか。
運転手に 私の貧しいイタリー語で尋ねると、どうやら途中から二つに分かれ、別方向にどんどん走って居るらしいのです。
 慌てて降りたものの、今度は逆方向へのバス停が全く見当たらず。
雪がますます激しく降る中、歩いている人を探すものの それさえ見掛けません。時間は過ぎて行くし、人も見えない。反対方向へのバスも全く現れない。
 もう困り果てた時、まるで奇跡の様に 1台のタクシーが見えました。
大きく手を振り、止めたタクシー。 乗った時には思わず「神様 有難う御座います」と心で叫んだものでした。

 其の何年か後の事です。今度は東京で。
前日の予報で「大雪」とあった為、大慌て。翌日早朝に成田からパリに向けて発たねばならない私でした。
 契約していたタクシー会社に電話をしても、誰も出ません。他のタクシー会社も
出ないか、稀に出ても「無理です」とそっけない答えだけ。勿論いくつかのハイヤー会社にも電話しましたが 常連客でない私の願いに応じてくれる所は 皆無。
 やむなく決心したのは 「いつもより1時間早く家を出て 直ぐ近くの青山通りでタクシーを待つ事」。
直ぐ傍と云っても、大きなスーツケースのキャスターは 雪の中では役立たず。
「重い荷物を持ち上げて行かねば」と心に決めました。
 そして翌朝。雪はやんだものの地面は真っ白。其れもかなりの量の雪。
早起きし、大決心で家を出たその時です。何と 空車タクシーが走って来るではありませんか!! 勿論手を挙げました。これも忘れられない奇跡の想い出です。

 でも、雪の想い出は奇跡ばかりではありません。
  生のラジオ番組を持っていた時のこと。放送当日、道路の雪を考え地下鉄に乗りましたが 途中の駅で 雪崩れ込んだ余りにも多数の客の為 窓ガラスがあちこちでバリバリ割れ始めたのです。その怖さに目的地前で降りやっと外に出、雪の中を小走り。でも時間に遅れ、飛び込んだのは最後の部分。 お詫びと雪の話をした事もありました。
 又 北海道行きのフライトが遅れ 沢山の人を待たせてしまったトークショーの記憶もあります。
 記憶の多くは「大変さ」につながるものが多い「雪の想い出」。

 雪で御苦労された方々に 再度 心からのお見舞いを申し上げたい今回の雪でした。

2011年2月5日土曜日

BS NHK「男前列伝」

久しぶりにNHKの 仕事をしました。

 番組は BShi、BS2で放送の「男前列伝」
・放送日は BShi2月12日(土)pm9:30-9:59  
・再放送は
BShiで 2月14日(月)pm0:00-0:29 BS2でpm11:00-11:29
BShiで2月16日(水)am8:00-8-29
BS2で2月17日(木)pm8:00-8:29.

 世に知れた「男前」達が 「誰に憧れ、尊敬し、影響を受けて来たか」。
表現する事に美学を持つ「現代の男前」が 長い年月語り継がれる美意識を生みだした「伝説の男前」を語る濃密な30分間。
 上記の趣旨で制作されるこの番組、まだ始まったばかり。或る意味 かなり「異色」であり、又その面白さで「注目の番組」です。

 今回は「現代の男前」として 「歌舞伎の女形俳優」 今、人気大爆発の市川春猿さんが 「伝説の男前」中原淳一の美学に迫る という筋立て。

 中原淳一と言えば、昭和初期から 大きな瞳の独特な少女を描き 若い女性達の心をつかみ、人気絶大だった存在。 
 戦後は 未だ物資も乏しく 貧しかった「日本の女性達」に 輝く太陽の様に 大きな歓びや 夢と幸せを 自身が主宰する雑誌「ひまわり」「それいゆ」を通して伝え 広めた方。

 彼は 単に「抒情的少女を描く画家」と言うだけでなく、その美意識は 服のデザインから 暮らしのオシャレ心、更には女性として、人間としての生き方までを しっかりと示し、多くの熱狂的な女性ファンを 日本中に作られた方。

 番組前半では 「戦前の古い時代から 大ファンだった女性達」が集まられ、中原氏の御嬢さん・芙蓉サンを交え 春猿さんと共に 想い出やその美意識に迫る構成。
 後半は 描かれた絵そのままに装うモデルさんと 私が加わり、戦後の彼の人生とその作品、表現のポイント、考え方などを 「春猿さんの目と感受性」を通して紹介。

 中原淳一の雑誌「ひまわり」を 初めて私が手にしたのは、まだ中学生の頃。
その大きく描かれた目と細い首やウエストの少女を見、やせている事に劣等感を抱いていた私が とても慰められたのが想い出されます。
 その後 大学生になって直ぐ、スカウトされ 始めたアルバイトが ファッションのモデル。
 授業が終わると その足で雑誌社のスタジオに直行。「婦人画報」でお会いした中原先生から「順子さん、僕の所にも来てくれないかな・・」と声を掛けて頂いたのがお親しくなった最初でした。
 その後、足繁く通った 彼の御自宅兼仕事場の 江古田のお宅。
学校からそのまま行く私は 全くのスッピン。当時の学生は メーク無しが普通。
ついでに撮影も メーク無しで行うのが私の常でした。
 そんな或る日の事。カメラの前に立つ私に「順子さん、僕にアイラインを描かしてもらっても良いですか」と言われた中原先生。
勿論OKした私に アイペンシルで 目の上にくっきりと幅広くアイラインを描かれた。鏡の中には「中原淳一の絵にそっくりな私」が居たのは 今でも忘れられない思い出です。

 絶大な人気を誇り 遥か年上の中原先生ですが、極く親しいお友達の様に お喋りし、冗談を言い からかい合ったり。時には 私がお姉さんで彼が弟、という感情さえ抱く程の親しさを楽しんだものです。
 卒業と同時にアルバイトのモデルは止め、書く事を始めた私。其れを取り上げる対談を組んで下さり、又、他の雑誌の連載依頼を祝って 毎月、カットを描いて下さった中原先生。  

 そんな先生が 余りのお忙しさに 病で倒れ 20年余の闘病生活。
その間、お見舞いに伺ったり お電話したり。小康を得られた時、お祝いパーティーの呼びかけ人になったのは 私と主人の宮内でした。
 数々の想い出と共に、先生から学んだ事は私にとり 終生の宝です。

一方、春猿サンのお話は 非常に興味あふれる 魅力的なものでした。
現実では男前の御自分が 舞台で女を演じる。それも現実の女性が日常に見せる動きとは 大きく違う形で より強く女を感じさせる術等、女形ならでは。

 女性にとっては新しい目を開かせて下さる話ばかり。
嫌みなく、さらりと自然に語られる彼の美学と 其の魅力に惹かれ すっかりファンになってしまいました。 

 再放送も度々行われるこの番組です。 「不思議な面白さ」や「感動」。
ぜひとも 御覧いただきたいものです。

 写真は 中原淳一先生の絵を囲んで、淳一風メークと装いのモデルさん、魅力一杯な美と御考えを持つ市川春猿さん、そして私。
 淳一風イメージの明るい室内での撮影でした。