2013年4月30日火曜日

六本木ヒルズ10周年とアート展


森ビルの 森稔社長が 永い年月を掛け 理想の街を実現されたのが 此の六本木ヒルズです。

想えば10余年前、数名づつの人が招かれ「どんな街にしたいか」等、様々な御説明をされ、意見や願いを聞かれた事を昨日の様に
想い出します。
 そして見事に完成した六本木ヒルズ!!
今、10年の歳月の経過が不思議な気持ち。その間には「ヒルズ族」なる言葉さえ生まれ、上海に巨大な森ビル誕生、そして森社長の御逝去、6年前に「ミッドタウンの誕生」・・・
六本木は大きく変わりました。

 ヒルズ10周年記念のイヴェント、パーティーが行われたのは
2013年4月25日17:00より。
グランドハイアット ホテルの巨大広間は一杯の人・人・人。
知った方も居られましたが、余りの多さに近ずく事さえ、儘ならぬ状態。
 そんな中で 森ビル社長、猪瀬都知事等の御挨拶。巨大スクリーンに映し出されるお姿とその前に立たれる御本人を やっと見比べられるかどうかという、人の多さ!!
写真を撮ったものの、映って居たのは頭だけでした。
此のホテルの誇る御馳走も沢山並んでいたものの 列に並ぶ元気も無い私。

 けれど感動したのは招待されたアート展。
シャガールから初音ミクまで 様々な「愛」をテーマとする「LOVE展」。
 此の六本木から 世界に向け、「愛」を発信しようというメッセージを込めた 様々な諸相の愛の作品「LOVE展」です。

 又、同時に開催されている「アルフォンス ミューシャ展」。
こちらはミューシャ財団秘蔵の作品との事ですが、ごく初期の作品から、あの1800年代から1900年代まで活躍し、アメリカでの公演までも行った名女優・サラ ベルナールの為のポスター等、アールヌーボーとデコを混ぜたような味わいで描いたもの。
私の大好きな作品も多く含まれ、改めての大感激!!
更にはネスレ等 様々なコマーシャル アート、そして晩年のスラヴ地方を描いた暗い作品等、膨大な数と魅力に圧倒され、大感動。

 TV朝日を中核に、あれほど多くの民家との話し合いの末 進められた この六本木ヒルズの企画。
 住み、働き、憩い、遊び、学ぶ街。この夢を実現された六本木ヒルズ。

改めて 森稔社長の偉大さを想い、この10周年を心よりお祝い致します。

2013年4月22日月曜日

実録映画“ビル・カニンガム&ニューヨーク”


 アメリカ人なら誰でもよく知る 高齢のカメラマン・ビル。
ニューヨーク タイムス紙の人気コラム「On the street」と,社交コラム「Evening Hours」を何十年にもわたり撮り続けている写真家・ビル・カニンガム。
その「仕事ぶりや考えを追う」この映画製作にあたり、彼を説得するのに8年、撮影編集に2年 計10年掛けたと聞きます。
© The New York Times and First Thought Films.

 
 NYの たった1館で公開されたこの作品、感動の輪が広がり 米国・映画レビューサイトRotten Tomatoesでは観客満足度99%を
記録、全米で異例の大ヒット。加えて世界各地の映画祭で 多くの観客賞受賞と言うのがこの映画です。

 彼の存在は アメリカ在住でなくとも 多少でもファッションに関わる人なら 誰もが知って居ます。
パリ・コレクションでも 私が初めて行った頃には 既に彼の
姿が有りました。
争い競う 多くのコレクション・カメラマン達の中で いつもニコニコ顔で撮って居る彼。
 1929年生まれと言いますから、既にかなりの年齢。

或る日、大女優 グレタ・ガルボの姿を道で見かけ、それを撮影。1978年NY・タイムスで発表した事がきっかけで、現在の名物
© The New York Times and First Thought Films.

コラム「On The Street」が始まったと言われますので、その歴史は本当に長いものです。
 自転車でNY中を走り回り、「これ!」と目に付いた人を撮る彼。
夜は 様々なパーティー(主として慈善目的の物を彼が選ぶ)会場での装いを撮る。

 「ニューヨーカーは物を粗末にし過ぎる」と破れた雨ガッパをガムテープで治し、清掃員が着るようなブルーの木綿ジャケットで 自転車に乗り 被写体にふさわしい装いの人を捜し回る彼の生き方。

 パリ・コレクションに来る彼は「半年おきに 学校にくるようなもの。目には何度でも学ばせないと」と。

 其のパリでは フランス文化芸術賞オフィシエ賞を、NYでも賞を受け 彼曰く「私は働いていません。只 好きな事をするだけです」。

 あれは 80年代ごく初め頃の事。私は娘の彩と NY5th Av.
を歩いていた時。彼から声をかけられ、彩が写真を撮られました。
© The New York Times and First Thought Films.

当時、まだとても珍しかった黒のダウンのハーフコートが目に留まったのでしょう。その写真は大きく扱われ、ボストンの大学でも沢山の人から「ニューヨーク タイムスに載ってたのは 君だろう?」と聴かれたと話して居ました。
当時のNYタイムスの ファッション担当ジャーナリストはバーナディン・モーリス。
彼女はとても良い人で 仲良くしていたものです。
次のシーズンに パリで会った時「素敵な若い子が来たので、撮って! と言ったら、何と順子の娘だった・・・」と沢山の人に話して居たのが忘れられません。
一方、彩は「ビルに撮ってもらった!」と大喜び。
 
 過日、ニュージーランドで中学に入った息子と共に学校に行った時の事。学校の歴史を語る校長の話の中にさえ「時代もファッションも変化する」と 其の1例として ビル・カニンガムの撮る写真・“On the Street”を使用し、ビルの名前を出していました。
「ビルに撮ってもらった事が有るのよ」と言う彩に、11歳・10歳の息子達は全く無関心でしたが・・・

 今改めて様々な時代のNYを想い出させてくれ、最後のシーンでは感動で涙した素晴らしいい映画です。

 ファッションとは無関係な人が見ても、この上なく楽しみ、感激する事は 多くの映画賞が物語って居ます!!!
「より多くの方に観て頂きたい!!」と切にお願いしたい、心温まる映画です。

5月18日(土)より新宿バルト9ほか全国順次ロードショー


2013年4月13日土曜日

サッチャー元首相逝去



4月9日 新聞各紙は、大きく 英国のサッチャー元首相の死去を報じました。
「鉄の女」と呼ばれた彼女ですが、私にとっては 「強い女」「頑固な保守主義者」「共産ソ連を崩壊させた」と言う政治家の面以上に
何とも細やかな心使いで 人を和ませてくれたチャーミングな女性としての想い出が 大きく残って居ます。

 丁度 英国経済が不況、ストライキ多発などで「英国病」とまで言われた時代に首相をされた彼女。
ロンドン・コレクションがスタートし、下町の若者達の間で“パンク・ファッション”が多くみられたこの時代。
私は毎シーズン ロンドンのプレタポルテ コレクション取材の為 この街を訪れていました。

それは 1988年の秋。コレクションの終わり近く、送られてきたのは なんと首相官邸で催されるパーティーへの招待状。
イギリスの人々が“ナンバー テン”(No10)の愛称で呼ぶ あのダウニング ストリート 10番地 にある首相官邸への サッチャー首相からの招待状です。
封筒の中には 招待状と共に 第一関門、第二関門の通行証も
入って居ます。
 
 当日は車を呼んで 出掛けました。
フランスの大統領官邸には それまで幾度か伺って居ますし、TVで取材した事さえありましたが、イギリスは 初めての事。
大きな緊張感を以て出掛けたのは言うまでも有りません。

 無事関門を通過し建物に入ると、そこは木造のかなり質素な作りです。フランスに比べ、煌びやかな王宮的なムードは全く感じられない造り。木の階段を2階に上がると部屋の入口にいかめしい男性が立って居ます。
 私の前に入った方を眺めると、部屋の中央に あのサッチャー首相が立っておられ 其の男性と笑いながら握手をしていられます。
「きっと親しい方に違いない・・でも私は初めて」。緊張感が増して来ました。
手にした招待状を渡すと いかめしい入口の男性は 大声で「ミセス ジュンコ オオウチ!」と。
 部屋の中に入り、型にはまった「御招き、有難うございます。
御目にかかれて光栄です」と言う私に、彼女はにこやかに
「まあ! 何て素敵なブローチをしていられるの! 何処でお買いになったの?」と。
私も 思わず「これ、ロンドンで買ったのです。とても気に入っていまして・・」
 此の短い会話が私の緊張感を 全て溶かし ウキウキ気分で大広間へと移ったのでした。

 パーティーが始まると サッチャーさんの周りには常に 沢山の人達。 とても傍でお話できません。
 そんな時、ロンドンで活躍していられたデザイナー・鳥丸軍雪さんが「大内さん、せめてさよならの挨拶くらい しに行こうョ」と声をかけて下さったのです。
二人で人の群れの中に入り 少しづつ 近ずいた時「あら! ユキ!」と声をかけて下さったのは首相でした。
「ご無沙汰して居ります」と言う彼に 彼女がごく自然に言ったのは「昨日 ファッションフェア―会場の視察の時 貴方のブースを覗いて 会えるかなと思ったのに居なくて残念だったわ,ユキ!」と。
改めて私を紹介するユキさんに「さっきも。素敵なブローチの事、お話ししましたね」と まるで古い友人に対するように微笑みかけて下さいました。
 彼女の振る舞いは、ジャーナリストである私に ユキさんがどれ程 英国で認められているかを示すと共に、日本への親しみを現すもの。

 彼女について 更に感激したのはその翌年の事。
其の時は 首相を主賓として迎えるパーティーが行われました。
マスコミのカメラマンたちは「会場内での撮影は一切禁止。インタビューも勿論禁止」とあらかじめ知らされたパーティでした。

世界各国のTV,新聞雑誌その他のカメラは 会場外の廊下に紐を張り その内側にカメラを据え 彼女の通る姿を撮影するだけ、という設定でした。
 会場の中に入れるのは 招待された人のみ。
私は幾度も カメラの所まで出たり 会場中に入ったりしながら彼女の到着を待ちました。

 丁度カメラそばに出た時です。
先導の男性に導かれて彼女が姿を見せました。カメラが待ち構える場所、会場まで僅か15メートルほどの距離に来た時です。
 何と彼女が立ち止り後ろを振り返りました。後ろから来るのは
パンク姿の若いデザイナー何人か。
若い彼らを待って カメラ前で話をしています。やおら「折角だから、皆で一緒に撮って頂きましょう」と言われたのです。
全員が彼女を真ん中にしてカメラに向かってにっこり。
「皆さん御苦労さま! 良いですか?」と 会場へと入って行かれました。
首相とパンク姿のデザイナー達との面白い対比に大喜びしたのはカメラマン達。翌日の新聞に其の姿が大きく乗ったのは言うまでも有りません。私のTVクル―にとっても、大きな収穫でした。

 当時、日本の或る首相が、宴席で女性を口説き、それが表沙汰になり辞職したスキャンダルが話題になりました。
それだけに「彼女の賢さを少しでも見習ってほしい!」と強く感じた事が忘れられません。

心から 御冥福を お祈りしたい サッチャ―元首相のご逝去です。

2013年4月8日月曜日

桜舞うイタリア大使館での ブルガリ晩餐会


 猛烈な雨と風が ガラス扉を打ち続ける嵐の音で 目覚めた其の日の朝。
「こんな日にブラックタイのパーティーとは・・・でもハイヤーで送迎して下さるから・・・」。
所が 昼近くには 天気一転。青い空には太陽が輝き、風も全くない晴天。


しかも春らしい温かさ。
神様は 悪戯好きに違いない。

 夜7:30過ぎ、イタリア大使館に着くと 玄関前にも 横にも 周り一杯に桜、満開の桜が迎えて呉れた。
サロン内部にも、由緒ある日本庭園にも あらゆる場所に咲く桜。

此の屋敷は かつて四十七士が 吉良家への 討ち入りを果たした後 其の何名かが此処にお預けの身となり 丁重に扱われた後、この見事な庭で 切腹を果たしたと言う 凄い歴史を持っている。

 さて、シャンパン片手に タキシード、着物姿やロングドレス等 多くの招待客も 桜の様に美しい!!

 突然 室内の片側がライトで照らされる。そこには 十数人のモデル達が 其々異なるポーズで 黒いドレスに 輝くブルガリのハイ・ジュエリーを纏っている。
 やがて彼女達は客達の中に入り 豪華なジュエリーを 身近で見せ始めた。
全てが 絢爛豪華、繊細な輝きとカラ―が溢れ 桜さえ恥じ入る程の美しさ、見事さ!! 

ご挨拶される大使
勿論そこには ブルガリのアイコン ”セルペンティ(蛇)“デザインに始まり、様々な輝きのカラー・ストンにダイアモンドなどが イヤリング、ネックレス、ブローチにブレスレットに・・・使われている。

 其のジュエリーの総数・124点だったと知り 改めて心震える想い。

やがてディナーのテーブルへと移動。
私の丸テーブルにはドメニコ・ジヨルジ 伊大使が 正面中央。其の真向いに私の席を発見。左手には伊ブルガリ社のPRトップの女性サビナ・ベリさん、右手は歌舞伎の中村獅童さん、そして「フィガロ」編集長の田居氏や集英社の石渡さん、「バザー」の菊池さん、大使の左手には美しいモデルさん。

中村獅童さん
サビナ ベリさんと
 乾杯に始まり其々お喋りが楽しい。
「ローマから今朝着いたばかり。凄い雨の中タクシーは居ないし、大変だった・・」
と言いながらも 爽やかで元気そうなサビナ・べリさん。
 右手の獅童さんには 質問殺到。
特に 新歌舞伎座完成直後と有り 私にとっても内部を良く知る彼には聞きたい事が山ほどあるが、独占する訳には行かない。

 当日のお料理はすべて、銀座・ブルガリ レストランのシェフ・ルカ ファンタン氏に依るもの。
 勿論、ワインも バブル水もスプマンテ・・・全てがイタリア製なのは当然。

食事中  庭側に作られたステージ上に ジャズバンドの面々が現れ、演奏開始。
聞けばこの日の招待主の一人、ブルガリ・グループを率いるニコラ・ブルガリ氏は 無類のジャズ好きとか。
 この夜の演奏者、歌手を含めた面々は わざわざこの日の為にイタリアから
来日したとか。
イタリアから来たジャズバンド
桜の前で。

 満開の桜を背に 演奏するジャズ。不思議な対比が ごく自然に感じられるのも、この夜の楽しさと言えるもの。大使を始め何人かが曲に合わせて 踊られたのも イタリアの陽気さを思い起こさせて嬉しい。

 同時に 常に気を使い客の全てへの配慮を行い続けて来た 日本側PRトップの住永瑠璃子さん始め、多くのスタッフのご苦労に 感謝の気持ちが膨らむ。

 イタリアのブルガリと日本の桜、しかも歴史ある庭を眺めてのこの夜 感動で時を忘れた楽しいパーティーだった。