2012年10月29日月曜日

旧友を訪ねて仙台に。そして 被災地へ

「仙台はきっと寒いだろう」と思いながら出かけたのは この10月半ば過ぎ。
 何十年か前、私が毛皮のコートを作ってもらっていた大木春雄氏の店 「大木毛皮店35周年記念の会」に出席する為でした。

 余りにも古い事で 最初の出会いすら 全く覚えていない私。
彼の説明に依れば「日本毛皮協会のデザインコンテストに出品した彼の作品を高く評価したのが 審査員を務めていた私だった」とか。
大木毛皮店のパーティーのお客様の
何人かとご一緒に

 その後、彼に、ミンクのコート製作を依頼し、はるばる青山の家まで幾度か 仮縫いに来て下さった事は忘れられないものです。

 ともかく研究熱心。当時の日本には 満足できるデザインの毛皮は少なく、「寒がりの上、冬のパリやニューヨークに出かける事の多かった私はもっぱら かの地で買っていたもの」。
 買った品を見せ、説明する私に 様々な質問を浴びせた大木氏。

 その後、彼の催すイヴェントで話をする等、幾度か彼の店にも訪れたものです。当時は山形だけだった店、今では仙台にも店を持ち、御子息が社長となり ますます発展していられます。
 其の35周年とあって、「友情再確認」の気持で出掛けた私でした。

 実はその間 かなり長期間の御無沙汰が有りました。
そこに起きたのが3・11の大震災! 私は直ぐ 東北地方の知人に電話をし 安否を訪ね、お見舞いしました。
 山形の大木店の無事を伺い ホッとしたのが 今回の再会へとつながったのです。

35周年を祝う会は大盛況!! 大勢のお客様達も喜ばれ、私も見事な発展ぶりに 心からのお祝いをお伝えしたのでした。


「被災地へ」
其の翌朝、「此処まで来たのだから・・」と被災地を案内して下さいました。
あの3・11直後に見た仙台空港の被害シーンが まざまざと 想い起こされます。
 先ず行ったのは 名取市のゆりあげ港。名取川と交差する高い土手の上に造られている高速道路。
 此の土手のお陰で片側は水が行かず 家も壊されずに残っていますが海側は全くの平地。
被災地にて
港の傍で車を降り、良くみれば、残っているのは家の基礎コンクリートだけ。限りなく並ぶ低いコンクリート基礎が 震災前には 多くの家が立ち並んでいた事を物語っています。

近くにあるゆりあげ港神社は小山の上。何十人かの人々がバスで訪れ、山の上に居られます。
壊れかけた石段を登ると、祭壇が創られ 亡くなられた方の人数が書かれ、碑の前には 花を供え お線香の煙が昇っています。
 不思議な力が 胸を締め付け、苦しくなり、涙が出て来ました・・

 此の辺りで亡くなられた方々がどれ程多かったのか!!
この小山以外は見渡す限りの平地です。「高台に逃げろ!」と言われても そんな場所はビル以外何もなかった事でしょう。
其のビルさえ 今は跡形も無く消えて居ます・・・

 次に訪れたのは 仙台港。ここには沢山のコンテナーが積まれ、
車が行き交い活気一杯!!此の港の近辺には コンビニも普通のお店も見られ、新築の家さえ何軒か見られます。
 何やら救われる思いで眺めた、活気でした。

 それにしても、塩害で茶色に枯れた松や雑草。
家が残っても 畑への塩害が 全て除かれるのは何時の事か。
 眺めるだけで 何もできず、義損金を送っただけだった自分の不甲斐なさを 改めて悲しく、申し訳なく感じた仙台への旅でした。

2012年10月2日火曜日

「東京FMラジオ」で。

 私はラジオ大好き人間。何かしながらでも聞いていられるし 好きな音楽やニュース、興味深い話題も聞かせてくれます。

 3・11以来 ラジオが大きく見直されたそうですが、私は震災前からラジオ大好きでした。
 そんな私の好みを知ってか知らずか 東京FMからインタヴュー番組への出演を依頼されました。
 TFMで 毎週土曜日・朝9時から9時30分まで

 ノエビア提供 「Color Of Life」と言う番組。

 インタビュアーは  望月理恵さん。

 私の出演分は 10月13日から始まり 4回続くそうです。
インタビューして下さった理恵さんは とてもチャーミングで聞き上手。 

私も思わず 色々とお喋りしてしまいました。

(写真は望月理恵さんと私)

内容は 「生き方やファッション」がメインで 「自分をより美しく、チャーミングに見せる装いの見つけ方」や「考え方」「世界に通用する生き方」「デザイナーの事」等など。

 好きな曲を挟みながら 流れるこの番組。

 聴いて下さると幸せです。

 質問の中には 私の著作「たたかわない生き方」に関するものも

ありました。

 「どうやって戦わないで済ませるのか・・」

当然の質問です。特に現在の 尖閣問題で 強引に所有権を主張する中国の様な相手に対して 「どうやって 戦わずに自国の権利を守るか・・」。


 ファッションの世界でも 戦闘的な人々は非常に沢山存在します。

中には 一見 エレガントなマダムが ハンドバッグを振り回して 喧嘩する姿も珍しくない世界なのです。

それも「これは私の席!!」と言うだけで。

何しろ この世界で コレクションの 席位置は重大な意味を

持つのです。

フロントロー 最前列に座れる招待状を 手にする人は 限られています。

2,3列と後方に行く程 重要度が低いとみられるのは当然の事。



 もう かなり以前の事でした。

早くから日本でも 大きなビジネスを展開してきた或るブランドのコレクションでの事です。

日本のジャーナリスト達の席は何と 前から6列目が一番良い席、

其の後ろに ズラリ続いているではありませんか!!
 私は指定された席には座らず、このブランドのプレス担当重役のマダムを探しました。

彼女に「私は指定の席に座りたくないんだけど・・」と静かに話しました。

不思議そうな顔をする彼女に示したのは 私の招待状の席ナンバー。

 彼女の顔色が 変わり「ジュンコ、これは誰かがやった間違いよ!

こんな事、あり得ない。少し待って!!」

やがて彼女は 椅子を1個持って来させ、最上とされる ランウェー正面の端に並べ「此処に座って! 一体だれがこんな事をしたのかしら」と。

座りながら私が言ったのは

 「日本人ジャーナリストの席が何処にあるか 貴女は知ってるの? 皆言っているわ。

これから先、このブランドの事は 一切レポートしない と」
 コレクションの数日後、其のブランドからは日本人ジャーナリスト全員に丁重なお詫びレターと共に 男性にはネクタイ、女性には 美しい造花ブローチが送られました。

 それ以後 日本人全体を 悪い席にまとめる事は ニ度とありませんでした。



 一つの例として 私の体験をお話しましたが。

黙っていると 「満足してる」 「当然だと受け入れている」・・

こう考える民族や人は とても多いのが事実です。

 正面切って戦うのも一つの方法ですが、戦争になりかねません。

如何にして 戦争せずに自説を通すか。
難しい事ですが 個人も国も 同じ。
 外交手腕が求められる現在の 日中、日韓、日ロの領土問題も 同じかもしれません。


 さてこんなお喋り、どこまで編集でカットされるか・・

番組を聞かねば 私にもわかりません。

 どうぞお確かめ下さい。