2011年10月29日土曜日

日本橋架橋100周年 着物ショー

「TOKYO KIMONO WEEK 2011」

 江戸と共に誕生し 葛飾北斎などの 浮世絵にも数多く登場する日本橋。その架橋100周年記念 TOKYO KIMONO WEEK  2011 が行われました。

 1911年に 現在の石造の橋に架け替えられてから、今年で100周年。
伝統を継承しながらも 進化を続ける街、 東京・日本橋を舞台に 日本の伝統「きもの」が持つ価値や文化、うつくしさを発信するのがこのイヴェント。

 特に、近年日本橋界隈には、新しく 美しいビルや店が多く誕生し 銀座に劣らず面白いスポットとして 生まれ変わって居ます。

 10月19日を皮切りに 三越、高島屋における数々の「きもの関連のイヴェント」、更には「東京着物女王コンテスト」や「着物パーティー」等ナド。
 11月3日までの間に「着物を着て行きkimono passport をもらえば この地域の50近い店で 様々な特別サービスを 受けられる特典まで。

正に盛り沢山の行事とサービスで 盛りたてられるのが今回の企画。

 その中での 中核的存在と言えるのが この 「着物ショー」 “きもの・和・日本の美” なのです。

 10月26日 日本橋三井ホールで行われた此のショー。

 三越、高島屋、ワミレスコスメティックスなどの協賛のもと 大出一博演出・構成のもと 20名近いモデルの着る 小紋や紬、訪問着から 華やかな振袖まで 約60点ほどの着物が 観客を酔わせました。
 
 演出・構成に当たる大出氏は ファッション界では日本のみならず 世界の高名なデザイナー達からも 絶対の評価を受ける存在。
 パリからさえ わざわざ彼を招いて 演出依頼するデザイナーが 少なくなかった存在です。
 その大出氏が ここ何年間 熱中しているのが 着物であり 写真撮影。

 今回のショーは 正に「大出ワールド全開」の美と情感で観客を惹き込み、感動に酔わせてくれました。

 大震災を機に、改めて人々の意識が「日本と日本人である事」へと
向って居る今。
 ただ静かにしているのではなく、「活発に行動し、消費する事こそ 再生への一助」の意識も強まって居ます。

 この機会に 私たち日本人ならではの「伝統」や「きもの美」に目を向け、大いに楽しんでほしい物です。

2011年10月8日土曜日

祝! 婦人画報11月号  1300号!!



  世界に あまたある「婦人雑誌」の中でも、これだけ長期間に亙り、常に高い評価と 人気を保ち続けている雑誌は極く稀です。

  創刊は1905年、明治38年との事ですから 其の凄さたるや 並みのものではありません。 しかも、初代編集長は 国木田独歩。あの「武蔵野」等で知られる文学者。

  正に この100年余の「日本女性憧れの象徴」であり、その「歩みを牽引して来た」のが 「婦人画報」だったと言えましょう。

  今回の11月号では 「婦人画報を飾った トップランナーからの伝言」と名付けたページが組まれています。
 1968年から婦人画報に「朱鷺の墓」を 9年の長期に亙り連載され 「婦人誌小説をリードされた 国民的作家・五木寛之氏」を始め、 度々表紙を飾られた 岩下志麻さん等、ゆかり深い人々が紹介されています。

  その中の一人として 私も入れて下さったのは 何とも嬉しく光栄な事。

  想えば この婦人画報とのお付き合いが無かったなら、ファッション・ジャーナリストの道を選び 今日までの長い年月こうして歩んできた私は 存在しなかったでしょう。
大学入学直後の5月、街で声を掛けられ、訪れたのが「婦人画報」編集部でした。
  ジャーナリストを目指していた私にとり、雑誌の編集部は興味深い存在。


「写真を撮りたい」との御依頼以上の興味で 伺った婦人画報社だったのです。

 その後、アルバイト・モデルとして度々 婦人画報社のスタジオに通いました。
 当時既に 沢山存在した婦人誌の中でも、此の本は 抜群に特別な存在。
多くの写真家、デザイナー その他の人々が 「最も望んだ発表の場」が「婦人画報」だった為、ここで 多くの方々との出会いがありました。
 「僕の本にも来てくれないかな・・」と云われた中原淳一氏。
 「撮らせて・・」と云われた写真家・秋山庄太郎氏等・・。

 婦人画報を観た他誌からの依頼も急激に増えて 私のアルバイトは 思いがけなく広がり、同時に「ファッションへの関心」も深くなって行ったのでした。

 モデルのアルバイトは 卒業と同時に廃業。
 現在まで続くジャーナリストへと転身し、以来 「婦人画報」には 長年に亙り 様々なテーマで連載や 単発の仕事も させて頂きました。


 今年・2011年は 日本の国にとっても、又、私自身にとっても「激動の年」でした。

  今、こうして取り上げて頂いた事に、私自身 新しい光の道を感じる想いです。

  そして、心からの感謝と共に 同じページに紹介された 主人「宮内裕が私をモデルに描いた婦人画報の表紙油絵」(当時 彼の描いた表紙画は5-6枚に上ります)、モデルとしての 若い日の自分を 改めて 感慨深く眺めている私です。

  私個人の事はさて置き、素敵なバッグの付録付き、 内容が面白く、素晴らしい充実感を堪能できる「婦人画報11月号」。 
  特別記念号の御購読を ぜひとも お勧めしたいと思います。

2011年10月6日木曜日

ジャガー・ルクルトのアート時計の美くしさ



 「秋の到来」を強く感じる今。心痛む事が余りにも多かった今年だけに、私の気持ちも とかく沈みがち。

  こんな時、私が願うのは 「極上の美」に触れる事。
それも「世界最高」 と言える「美しさ」に。

 私の願いを叶えて呉れたのが、ジャガー・ルクルトの最新作品でした。
 
 2011年8月31日ー9月10日まで開催された ヴェネチア・ビエンナーレ主催の「ヴェネチア映画祭」。

 高名なこの映画祭のスポンサーを 7年連続で務めているジャガー・ルクルト。
今回、此処で披露されたのが ジャガー・ルクルトの得意とする「技術の粋と美」を結集して作られ 「最高の美を備えたアート」的な 宝飾時計です。

・ 「ラ・ローズ」と名付けられた白いバラの花、茎が巻きつき、その先端についた蕾。 何と 開いた花の中央には 時計の針。
 花は1965個のダイヤで 埋めつくされています。
J.ルクルトならではの、スノー セッティング技術により 一段と大きく輝きを放つダイヤ。
 信じがたい程に 研ぎ澄まされた美感覚 そして 精巧な技術力が生み出した アート作品です。

 ・  ラ・ローズ・ブランシュ(白いバラ)
 1輪の大型のバラ。バラ色のサファイアが ダイヤの輝きを際立たせています。
1枚の花弁を そっと動かすと 時計面が隠れ 素晴らしい華やぎのブレスレットに変身。
 正に 夢の様な美しさ!!!

 ・ レヴェルソ・スクアドラ・アート・アイス
 北国の夜、雪がさんさんと 舞い散る景色を想わせる絵柄。

 この時計面をくるりと回せば、裏面が表に出ます。
こちらは 更に 降りしきる雪に包まれた木々を感じさせる風景。
ダイヤの雪、ブルーサファイアは 夜空でしょうか・・
 宝石で 緻密に描かれた「ハイジュエリーウオッチ」の情緒溢れる美が 手元を飾ってくれます。

  正に 夢の様な美しさ!!!

 1833年以来、スイスのジュウ渓谷で 時計と宝飾の技術を合体させ、制作し続けて来たのが このジャガー・ルクルトです。

 熟練した時計職人の技と ジュエラーとしての並みはずれた美感覚と技術力・・それらは398にも上る特許取得が 物語って居ると言えましょう。

 改めて其の凄さ 美しさに 圧倒され 心癒やされた 今回の作品でした。

2011年10月3日月曜日

日本ロレアルの「ビューティーバス(移動式美容室)」

 震災から半年余経た今、改めて想われるのが被災地の女性達の事です。

世界最大と云われる化粧品会社ロレアルグループ(本社パリ)の日本法人・日本ロレアルが 今回発表したのは移動式美容室「ビューティーバス」。

バスの中で シャンプーからカットにヘヤーカラーまで可能。 しかも 各地への移動可能美容室と云う 何んとも素敵なこのバス。

震災直後から 地元の美容師さん達と協力して行ってきた「出張ヘヤカット」等から 此のバスのアイディアが生まれたとか。

車内は シャンプー台とカット用椅子2台、そしてロレアル製品がぎっしりと並ぶ 素敵な空間です。

日産自動車と タカラベルモントの協力で完成した此のバスは

「美容師の力」と名付けられ 被災地の美容師さんが 地元の女性の為に 働けるよう作られ、各地を巡回するそうです。

・最大で1日 約60名を対象に実施可能。

・地域:宮城県、岩手県内

・運営:日本ロレアルにて 宮城県と岩手県の 美容生活衛生同業組合の協力のもと運営される。

・稼働の目安:10月17日 宮城県気仙沼市を皮切りに 

1か所に4日以上滞在予定

・バスの社種:日産 シビリアン

 「希望」の花言葉を持つ 赤いガーベラに女性の横顔が 車体に 散りばめられたこの素晴らしい「ビューティーバス 美容師の力」。

女性にとり 自分が美しく装う事、そして日常に近い生活を持つ事が どれほど大きな力、歓びである事か・・

  一日でも早い復興の為、此の力を活用して頂きたいもの。

又 日本人の一人として 心から ロレアル社に感謝したい今回の「ビューティーバス美容師の力」と その活動の誕生です。