2012年3月18日日曜日

映画「アーティスト」



 本年度 アカデミー賞の「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「衣裳デザイン賞」「作曲賞」。一挙5賞受賞で 一躍世界の大注目の的となったのが この作品「アーティスト」。
それ以前から、ゴールデン・グローブ賞で6部門にノミネートされ、アメリカ各州の批評家賞など 何と137の 賞に ノミネート、45受賞と言う 驚きを作ったのがこの映画。

しかも 21世紀の今、3Dどころか、「モノクロのサイレント映画」とあって 驚く人も多いでしょう。
「映画大好き人間の私」にとってさえも サイレント映画を見るのは初めてです。

所が何とも言えぬ情緒と 優しいロマンティック・ムードを 醸し出すのが この作品。
今、想い出しても素晴らしい衣装には はっきり色を感じますし、声も、音も 犬の吠えるのさえ しっかりと思い浮かべられます。

時は1927年のハリウッド。
サイレント映画の人気・大スターの新作舞台挨拶から始まります。
彼と 共演した愛犬も一緒に 熱狂的な拍手で 幾度も舞台へ呼び戻されるのは 超人気俳優のジョージ・ヴァレンティン。
映画館の前も 押し掛けるファン達で大混乱。
偶然押された結果、この大スターのジョージを突き飛ばした一人の若い女性。 
優しく微笑む彼に 感激した彼女は抱きついて頬にキス。
それを撮る並み居るカメラマン達。翌日の新聞1面を大きく飾るその写真。
 この女性は 未来のスターを夢見るぺピー・ミラー。
ジョージの新作のオーディションを受け チョイ役で出演し、彼の目にも 焼きつきます。

 こんな出だしで始まるこの作品。
やがて、時代はサイレントからトーキー映画へ。
声に自信がなかったのか、ジョージは「サイレントこそ本当のアート!」と主張し 遂に会社との契約を破棄し、自主製作に乗り出す。
 全ての製作費を自分で負担した新作は 全く当らず大きな負債まで。妻も去り、運転手の給料さえ払えない状態に。
 この間、時代は急速に動き、ぺピーはトーキー女優として人気急上昇。

 この時代の背景を考えると 物語がとても良く理解できましょう。
 それまでの何年かに 女性達は 歴史上初めて「膝がのぞく短いスカート」のドレスを着、ショートヘヤーで 解放と自由を享楽する社会風潮が広がっていました。
そこに起きたのが アメリカの株価の大暴落。
あの19291024日に起きた「暗黒の木曜日」と呼ばれる大恐慌です。

 ジョージはすっかり落ちぶれ、酒を買う金さえ ままならぬ状態。遂に自殺を・・

 ここで大活躍するのが彼の愛犬。 これが何とも可愛くて しかも凄い名優犬です。
カンヌ映画祭では「パルムドッグ・最優秀犬賞」を受賞。

 最後はこの愛犬の働きもあって無事に目出度くハッピーエンド。

 改めて知るのは 「時代を超えたラヴストーリーの幸せ感と感動!」です。
 こんなに純粋で 温かい愛や 幸福感を呉れる映画こそ 今の私達に必要なのでは・・という想い。
まるで現在の日本、更には不況や戦争にあえぐ世界の国々の為に作られた作品とさえ 言えそうなこの映画「アーティスト」なのです。

©La Petite Reine-Studio37-La Classe Americaine-JD Prod-France 3 Cinema-Jouror Productions-uFilm
 
 


2012年3月16日金曜日

「震災支援の継続」 LOOM NIPPONのホームページ


「震災支援の継続」 LOOM  NIPPONのホームページ


 先回 このブログに書きました「震災支援」の様々の中で御紹介しました「宮城県 南三陸町に 桜を3000本植樹しよう」そして「花が咲いたら 毎年 観に出かけよう!!」というプロジェクトを含むNPO「LOOM NIPPONN」
(代表・加賀美由加里さん)の 正式ホームページが立ち上がりました。

 桜の植樹に加え、他の様々な支援、雇用を生み出す運動などが 次々と生まれています。

ぜひとも下記のアドレスを開き、この運動に御参加下さいませ。
 「少しでも 役に立ちたい」と願う者の一人として、御紹介させて頂きますので 皆様のご参加を お願い致します。

http://Loom.or.jp 

どうぞ よろしく。

2012年3月13日火曜日

映画「マリリン 7日間の恋」


本年、第84回米アカデミー賞で マーガレット サッチャーを演じたメリル・ストリープと賞を競ったのが この作品でマリリン・モンローを演じたミッシェル・ウイリアムズだったのは 皆さん良く ご存知の筈。
アカデミー賞は逃したものの、 世界各地で 沢山の賞を獲得しているのがこの作品「マリリン 7日間の恋」。

ハリウッドの「セックス シンボル」と言われ、没後50年となる今でも あのマリリン・モンローの「不思議な魅力の虜」で居続ける人は 少なくないもの。
女の私でさえ、オードリー ヘップバーンとは また別の存在として マリリンの可愛いセクシーさや マシュマロの様な女っぽさからは 目を離せないオーラと強い魅力を感じ、大好きな女優サンです。

これまで 全く知られなかった彼女のピュアーな恋の7日間の相手として選ばれた 23歳の英国青年が綴った日記からなる 真実のストーリーがこれ。

1956年、世界中の注目を集めて マリリンは新婚早々の
作家・アーサー ミラーと共にロンドン空港に到着。
空港で迎えたのは 新作の監督兼共演のサー・ローレンス・オリヴィエと 妻のヴィヴィアン・リー。
 マリリン自ら立ち上げた製作会社の 初作品「王子と踊り子」撮影の為の渡英でした。

群がるマスコミへの記者会見では 彼女のユーモアで大いに盛り上がったものの、いざ撮影に入ると その行動は別人の様に。
 撮影開始時間には来ない、台詞は覚えていない・・・
スタジオのスタッフ達は 待ちぼうけと 進まない撮影に イラつきを 大きく募らせて行くばかり。

 オリヴィエの知人の息子 と言う事で無理に第三助監督(実は ただの雑用係)に採用された良家出のコリン(23歳)は命じられるままにマリリンの様子を観に行く。

 コリンが観たのは 夫・アーサーから疎まれ、泣いている別人のようにしおれ 可哀想なマリリンの姿。

 オリヴィエからは「セクシーだけの馬鹿女」とみられ、「スタッフは全てが敵」との想いに安定剤と酒で 起き上がれないマリリンを見、若いコリンは 誠実な一人の人間として
優しく接し 慰める。
 
 撮影のオフの日。「急用」と言われ 迎えの車に乗ったコリン。 気付けば 後部座席の毛布の下には何とマリリン、「何処かに行こう」と。
 彼の思いつきでウインザー城から 彼の母校・イートンへ、近くの池で泳ぎ・・。 
自然に溶け込み すっかり心を許したマリリンの姿と その美しさやオーラの虜になったコリン。
はるか年上のマリリンに 「貴女の素晴らしさを スタジオの皆に見せつけて下さい」とピュアーな心で愛を表現する。
 
 やっと軌道に乗った撮影。それは大俳優オリヴィエでさえ
感動させる魅力あふれるマリリンの演技と姿だった。
 順調ばかりではないその後だったが やがては 全て無事終了。
コリンにとり、夢の7日間は終わり 輝く大スター マリリン モンローは ハリウッドへと帰国・・・

 コリン・クラーク(1932-2002)
ロンドン生まれ。イートン校からオックスフォード大学へ。
 その後、TV界に入り100を超えるドキュメンタリー映画製作・監督を手掛けたコリンが 書き続けて来た日記の「特別な7日間」を綴ったのがこの「マリリン・モンロー 7日間の恋」。
映画は原作に かなり忠実に描かれ、撮影場所も かつて マリリンとオリヴィエが撮影した同じスタジオ、しかも
マリリンが宿泊した 其の館を使用して行われたという。

 マリリンを演じるミシェル・ウイリアムズは 正にマリリンそのもの。
特に其の動作から 踊る姿は見事なまでにマリリン。
「彼女あって 初めて撮影開始に漕ぎ着けた」というサイモン・カーティス監督の言葉が頷けます。

 只の伝記でも無く、スキャンダル物でも まして ありふれたラブストーリーでも無いこの作品。
深く心にしみるピュアーな男女の 儚い真実が描かれた感動的な作品です。

「マリリン・7日間の恋」
公開 324日より角川シネマ有楽町他全国ロードショー
配給:角川映画
©2011 The Weinstein Company
LLC. All Rights Reserved.



2012年3月5日月曜日

家庭画報の55周年 記念イヴェント

3月。大雪の翌日。温かな春の青空には太陽サンサン。
この日、日本橋・マンダリンオリエンタルホテルで行われたのが 家庭画報の55周年記念のイヴェント。

 しかもこの日に発売された 4月号は「650号記念号」。「55周年記念号」と銘打って出した3月号は 全国で売り切れ状態とか。
秋山和輝編集長はじめ、会社の皆さんが大喜びで迎えた この お祝いイヴェントでした。

「家庭画報読者」の為に 世界の10ブランドが 「着る人をより美しく、その魅力を引き立て、生活の様々な場面で役立つ」との趣旨で 服等揃え協力されたのがこのショ―。

女優の 美しい賀来千香子さんと 家庭画報副編集長・鈴木東子さん、私の3人でトーク そして 私の解説ナレーション入りのファッション・ショ―。
別会場では 賀来サンを身近にトークを聞き ショ―出品の服など 手に取って眺め オーダーも可能 と素晴らしく盛り沢山に楽しい催し。
会場一杯のお客様、中には男性の方も何人か。
ご夫妻で参加されたのでしょうか。

皆さんの 喜びの笑顔で終わったこの日の「家庭画報創刊55周年」「650号発売記念」のイヴェントでした。


思えば 私にとり「家庭画報」とのお付き合いは何とも
長いもの。様々な思い出に溢れています。

 中でも忘れられないのは 何十年も昔、未だ日本のマスコミが パリやミラノで直接取材することなど 全く無かった時の事。
「旅大好き」がきっかけ とも言える私の仕事。
大学卒業後は 自費で毎年ヨーロッパやアメリカに出かけ、
その都度パリやフローレンス・ローマ・ミラノでコレクショ
ンを観たものでした。

 当時 既に素晴らしい「ハイクオリティーな雑誌」として評価されていた「家庭画報」が 「日本の一流店」という連載をしていられたのをみて 「外国の一流店も取材したら面白いのに・・」と考えた私。
 編集長に提案すると「良いですネ・・」と言われたものの
全く実行される気配もない何年か。

そして 有る時 編集長の交替が行われ「前に言っていたあの案、本当に出来ると思いますか?」と。
私にとり「何故 出来ないと思うの?」と言いたい程にパリやイタリ―のデザイナーやメゾンとのお付き合いは 既に沢山ありました。

 こうして やっと実現される事になった私の案。
でも但し書きは 「編集からは誰も出せません。カメラも現地の人で。」
 加えて「何も出来なかったとしても どうぞ平気で帰って来て下さい」と。
 当時 日本の全マスコミで 外国のブランドを現地取材する例は 皆無でしたので 当然の言葉だったのでしょう。

 最初に行ったのは「エルメス」「シャネル」「セリーヌ」の3店。店内だけで無く インタビューにアトリエまで。
 シャネルではココ・シャネルのお部屋から、「私がオーダーした作品の仮縫い」を装ったシーンまでも撮影しました。

 この記事が良い反響を生んだ為、シリーズはカルティエ、ジヴァンシー、更にはイタリーに飛んでグッチ、フェラガモ、ヴァレンティノ・・・更には 北欧にまで広がったものでした。

 19741月号から始まったのですから、大昔の事です。
現在では「当然の事」になったブランドの現地取材は こうして他誌にも広がって行ったのでした。

 以来 家庭画報は私にとり 特別に親しい存在として続いて来ました。

 今回の創刊55周年は 私にとっても大変に嬉しい、感動の時。こうしてイヴェントのお手伝いをさせて頂けた事を心から感謝するものです。