2013年10月30日水曜日

映画「ファイアby ルブタン」

 今や人気絶頂の フランス人・靴のデザイナー クリスチャン・ルブタンが 何と あのパリのキャバレー「クレイジー・ホース」の演出を期間限定で行った。その「注目ステ―ジの映画化」がこの作品。

パリを訪れる観光客を始め、多くの人々が熱中するそのステージは 単なるストリップとは全く違う、正にアートと言える美しさ。

1951年に開場して以来、此処を訪れた観客数、600万人以上とか。
場所はシャンゼリゼからセーヌ川方向に延びる道・ジオルジュサンク通リのアルマより左手に 昼はひっそりと建っているが 夜ともなれば、多くの男女客達が次々と この建物に吸い込まれてゆく。

 この上なく美しい女性の身体。露わにされた丸いバストは 柔らかに揺れ くびれたウエストから長い脚へ。後ろを向けばヒップラインが丸く突き出され
全てが曲線で構成された女体の 怪しい程の美しさ!!
 音楽に合わせて様々なライトが更なる美しさへと盛り上げる。

 幼いころから女体の美しさに魅了されてきたという クリスチャン・ルブタン。
「フランス人の常として、あらゆる依頼には 必ず“ノン”と答えるが、此のクレイジー・ホースからの場合だけは全く別だった。直ちに“ウイ”と答えてしまった」と言う彼。

所で私が初めて彼 ルブタンに会ったのはもう10数年前の事だった。
こじんまりした店の奥から出て来た彼は まだ無名に近い存在ながら 老舗ネクタイ店と 共の生地を使用した靴を創るなど、独特のアイディアが面白かった。 当時私と同じ仕事をしていた娘・彩が雑誌の為に彼のインタビュウを依頼され、その後 靴をオーダーした時、娘に付き合い 私も1足オーダーした記憶が有る。

今や世界的に多くのファンを持つ彼。
靴への執着は 「服を脱がせる靴」へと昇華し 生まれたのがこのステージだったのかもしれない。
 
女体の曲線美を存分に楽しみたい方には 見逃すことのできないこの作品、
「ファイア BY ルブタン」だと言える。



2013年10月20日日曜日

“MISSONI” ショ―と 東京ファッションウイーク開始


10月14日 渋谷・ヒカリエのホールでイタリアのデザイナー・アンジェラ・ 
ミッソーニのショ―及び、2014年春夏コレクション「メルセデス ベンツ ファッション ウイーク 東京」の発会式が行われた。

 Mercedes-Benz というタイトルスポンサーに始まり、ロレアル、メイベリン
DHL,ダッサイ等の オフィシャル スポンサー、さらにスぺシアル サポーティング パートナーとして ヒカリエ ShinQs等。そしてサポーティング パートナーとして マスコミ各社、アパレル関係、繊維関係等の名がずらりと並んでいる。
 しかもこのイヴェントと並んで行われる都内各地で行われる様々なイヴェントが説明された小冊子が会場に数多く置かれている。

 その細やかな配慮、しっかりした情報。印刷物に付けられたNET検索アドレスも加えられ 完璧と言えそう。さすが日本!!

 当日先ず行われたミッソーニ コレクションの会場でも それは大きく感じられた。
しっかり作られたカメラマン用のスペース。TV、カメラマン等争う必要無く
撮れる様に 段々が造られている。
カメラマン達の数もパリ程では無いにしろ かなりの多さである。

 場外で待って居る時、私にとっては面白い事が有った。
どこかの国の若い男性が近くに来るなり「貴女の事 知っている・・」と。
多分パリかミラノのコレクション会場で観たのかと聞くと「ファッション通信」と言う。
「貴方 何処から来たの?」と聞くと、何と「ブラジル」。
重ねて「ファッションウイークの為に?」と尋ねると答えは「勿論!!」
しかも「一緒に写真を撮って欲しい」と。
やがて会場内で席に座った時、再び彼が現れ「之をあげるよ!」と手にした大判のショールを私の肩にかけて呉れ、又写真撮影。

世の中には面白い事が有るものだと思うと共に 改めて日本の完璧な秩序正しさや配慮に感動した。

ショーの後 アンジェラに会うと 懐かしげに来て強いハグ。
その昔、未だ彼女の父上。オッタビオが生きて居られた頃、娘・彩と共に雑誌の為にご自宅を訪ねたことがあった。
其の時は庭でピクニックをしたり、母上ロジータさんなど大家族全員とお食事したり・・
 一家全員と一緒に撮った写真をじっと眺めて居た彼女。改めて父上の偉大さを 想い起こしたに違いない。

 想えば アジアのファッションを日本が中心となり 世界に発信する事は私の夢でもあった。
 1987年に出版した「FASHION・流れと人」や95年に書いた「パリコレの最前列から」でも巻末にこの夢を書いて居る。
其れが正に実現した今、只嬉しく感動した私だった。