2010年12月25日土曜日

J P ゴルティエ

JPゴルティエ店銀座 オープン
 
 パリの 大人気デザイナー ジャン・ポール・ゴルティエが 此の12月 銀座にお店をオープンしました。
 其れも銀座のド真ん中。中央通りや並木通りと並行する西五番街通り。晴海通りから入って直ぐの左手。
 プレ・オープニングのパーティーには ジャン ポールも現れるとあって大変な人の多さ。
 勿論 私も出かけました。
 彼が10年前にスタートさせた「オートクチュール」第一回目コレクションから選び、 オーダーしたタキシードを着て。
 ファッションの中心地と云われるパリで、何と 有名フランス人デザイナーは
僅か数人だけ。その中で 最も若くから大人気を創り続けて来たのが彼。

 プレタポルテにオートクチュール、加えて今シーズンまでは あのエルメスのデザインも 手掛けて来た彼。その人気は別格です。
 未だ 現在ほど有名ではなかったマドンナの衣装を手がけ そのユニークさが話題を集め 彼女は一躍 押しも押されぬ大スターに。

 ともかく彼の作品には パリっ子らしい「ユニークさ」「一ひねりした面白さ」「奇抜さ」「楽しさ」等が ふんだんに盛り込まれているのです。

 ちなみに 私のオーダーしたタキシードは 袖から手袋までが 続けて作られています。
 観る人に「オヤッ!!」と思わせる ある種の「楽しさ」が彼の持ち味。

 さて、オープニングの夜、既に人一杯の店内。彼は沢山の人々に囲まれて 2階にいました。
 私に気付くと両手を大きく開き 素晴らしい笑顔で 大歓迎してくれました。
「たった今、お噂をしていたところなんですよ!」と 傍に居られた方。
 「このジャケット、覚えて居る?」と見せた時の 彼の嬉しそうな顔。 作った時の事が まるで昨日の様に想われます。

 店内を説明してくれる彼。
「店の中は 宇宙の空間なんだ。 僕のシンボルの ブルーの壁面、床もインテリアも・・・」と 彼の雄弁はとめどなく広がってゆきます。
 加えて 彼の装いは 何と靴まで 全身真っ白な宇宙服です!!
でも、小声で「これを着て居ると 少しくらい肥っても 誰にも分からないよ」と
ジョークも忘れません。
 
 「時を忘れ、永遠のハッピーさ」をくれる ジャン ポール ゴルティエのファッション。
 「日本での彼の大人気よ 永遠なれ!!!」と願わずに居られない私でした。
  写真はジャンポールと 「ファッション通信」のプロデューサー・チーフディレクターの 「リカ」こと高橋由美香さんと。当日記念のお土産に頂いたのは 「オヤッ 缶ジュース?」と思いきや、中味はオード トワレ! 「ジャン ポール ゴルティエ クラシックX」でした。

2010年12月19日日曜日

フェンディ

フェンディの2011春夏は?

 イタリーの人気老舗「フェンディ」の春夏コレクションは 今の寒さを吹き飛ばす「明るく 開放感溢れるイメージ」一杯です。
 此の冬、ヨーロッパは雪が積もり酷寒。 

それだけに 多くの人びとは 春の光を待ち望んでいる事でしょう。この願いを叶えてくれる作品が コレクションには 沢山詰まってます。

 鮮明な色から 淡くソフトカラーまで 豊かなカラーパレット。
くっきりブルーにグリーン、レッドそして白。その一方では優しいブルーやヴェージュも。

 面白いのは 日本ではあまり使用されていない「うなぎ」の皮をスカートやバッグにも使っている事。これは随分昔から しばしば見られました。染色時に 色が鮮明に出るのが好まれる理由だとか。しかも手触りは心地よくソフト、細い形を繋いで 縞模様を出した皮、腹部分から割く為 縞の中央に盛り上がりが出て、面白い立体感を創って居ます。
 写真の カラフルな2色を 斜め縞風に配したスカートがそれ。バッグにも使用されるなど 情熱的なヴィヴィッドカラーが魅力。
 うなぎを沢山食べる日本では 何故皮を使わないのかしら・・きっと種類が違うのでしょう。

 所で、フェンディといえば、世界一と云われる「毛皮の素晴らしさ」を忘れてはなりません。
 デザインの良さだけでなく、「様々な新テクニック」を常に生みだし、ファーのイメージを大きく変え、大変な影響力を発揮し続けています。
 春夏にも毛皮? 此の涼しげで楽しいストールを見て下さい。
透ける「エアリーなシルクシフォン」に、カラフルなドット柄。 

 何と マルチカラーのミンク・ドットなのです。

 バッグやシューズに時計にサングラス、果てはアイフォンケースまで・・アクセサリーの豊富さには驚きます。
 表参道のフェンディ店だけでなく、全国のお店に揃う此の品々。

 正に 「春夏が待たれる思い」を この実物で楽しみたいものです。

2010年12月12日日曜日

特別展 ダ・ヴィンチ

モナ・リザ 25の秘密

2010年12月7日-2011年2月20日
日比谷公園ダ・ヴィンチミュージアム[第二花壇特設会場]
  何とも興味深い展覧会を見た。展覧会と云うべきか、ミュージアムと云うべきか・・・ともかく非常に面白い。
 言うまでもなく、ルネッサンス時代・イタリ―の天才・レオナルド・ダ・ヴィンチに関する特別展。

 あの「モナ・リザ」を描いた天才画家の多彩な発明品を形にし、更には「モナ・リザ」を描いた当時の色彩や その後の修正部分にまで 科学のメスを入れ 変化を見せてくれる。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1510)はイタリア トスカーナ地方の村で 婚外子として生まれ、母は彼の誕生後 他の男性と結婚。彼は正規の教育を受けることなく 14歳の時 フィレンッエで大工房を構える ヴェロッキオに入門。
 当時は画家、彫刻家等は 全て職人と見られ様々な技能を求められたという。此処にはボッティチェリ等が兄弟弟子として働いていた。

 正規の教育を受けて居なかったダ・ヴィンチは ラテン語で知識を広めることが不可能であった為、ひたすら好奇心、観察と経験で自然の探究に夢中になったと言う。

 ヴェロッキオから離れた彼は 当時最も必要とされた戦争に役立つ「軍事技術者」として召抱えられ 戦車や機関銃等、様々な兵器を発明。同時に橋の設計から、伝染病蔓延を防ぐ理想都市の構想等も行った。

 発明家、科学者、技術者、建築家、数学者と同時に楽器を制作し演奏も行い、絵画彫刻もこなす 正に万能の天才。
 彼の発明 、人体解剖図等を細かく記した小さなノート「手稿」は24000ページに及び 現在残されているのは6000ページほどだとか。
 この貴重な古い小さなノートも今回展示されているが、此処に描かれた数多い発明品の図面を 復元し模型を製作しようとする動きは 50年ほど前から起こり、約120以上の模型が 15世紀の素材を使用し復元された。今回展示されているのがそれである。

 彼がモナ・リザの制作に取り掛かったのは1503年。亡くなる迄 手元に置き加筆を続けたと思われるこの作品。
 その加筆過程や 描いた当時と現在との色変化等が 科学的分析で展示説明されているのも興味深い。
 決して多作とは言えない彼の絵画、ミラノで戦火を逃れた名壁画「最後の晩餐」から「受胎告知」「岩窟の聖母」・・ 其の作品にまつわる話も紹介されている。

 遥か500年も昔、現在の「ヘリコプター」の原理を生み、今のものと同じ考え方と形の「潜水服」等を創った事も分かる等 沢山の展示品。

 正に天才と云う人間の大きさに驚き 一方で 「其のアイディアを盗まれないように」と左手で反対向きの「鏡文字」で説明書きする等、人間的な身近さえ感じる今回の特別展。

 一点毎に分かり易い説明が聞ける為、大人は勿論子供にとっても大きな興味と刺激になる 何とも素晴らしいミュージアム。
 ぜひとも 再度観たいと思っている私である。

2010年12月8日水曜日

ディオール

春夏クチュールコレクション

 此のところ 連日の様に行われるのが 内外の春夏用の新作コレクション発表。
服からバッグ、靴、ジュエリー・・に至るまでその数は莫大。
そんな中から 今日御紹介するのは 特に楽しさと美しさで私の目を引いたデイオール。

 デザインするのは もうご存知、英国人のジョン・ガリアーノ。
正に ムッシュー デイオールを想わせる才能の持ち主です。
 
 今回のコレクションテーマは「南太平洋への船旅&楽園の様な島での楽しさ」。
カラフルで 明るい色彩、ディオールならではの贅沢なリゾートスタイルの展開です。

 船旅では水兵ルックを楽しんだ彼女も島に着くと フェミニンでハッピーなカラーやプリント模様に着変え、思い切り楽しんでいます。
軽やかに透ける素材、赤白黄色に紫、オレンジ等、極楽鳥の様に鮮やかなカラー。
 どこかに50年代的な味を見せながらも、短いスカートに露出した肌。 あくまでその「魅力と人生」を楽しむ彼女です。

 手にするバッグも変化一杯。でも、先ず目を引くのは このブランドのシンボル「レディ ディオール」です。
時にはラムレザーに服と同じプリントを付けたもの。又、ざっくり素材がカジュアルに見えながら、実は繊細に織られたシルクツイード。しかもハンドルはクロコ等。
その贅沢さには 全く驚かされます。
 サンダルはサマーファッションに欠かせない存在。思い切り高い11センチのヒール、編みあげるリボンだけでなく、羽をあしらう等 長い脚を存分に強調し、飾ったものまで。
 
 現実の憂さを全て吹き飛ばし 歓び一杯!
2011年の夏には ぜひとも こんな夢見る品々でお洒落しては如何?
考えるだけでもワクワクしてきます。

写真
①黄色と赤を利かせた装い。コーディネート次第でタウン用にもなるジャケット。
②ラムレザーにタイダイプリントを付けたディオールのシンボル「レディ ディオール」バッグ
③「ディオール タヒチ」と名付けられたサンダル

2010年11月23日火曜日

[伝説のトランク100・ルイ・ヴィトン

 凄い本がルイ・ヴィトンから出版されました。

 著者は創業者ルイ・ヴィトンの 直系五代目に当たるパトリック・ルイ・ヴィトン、及び執筆活動で知られるP.レオンフォルト、文化遺産保存等で活動するE.ピュジャレ・プラ。

 本の厚さたるや5センチ近い上、正に興味しんしんの内容。
創業1854年以来、ヴィトンが多くのセレブ達のオーダーで制作してきた様々なトランクと 当時の時代背景・歴史とエピソード、沢山の写真や新聞切り抜き デザイン画まで 全てが収められています。
これを読むだけで 各時代の「贅沢な旅」を実感し、多くの「セレブの生き方」から 時代変化まで伝わってくる面白さは抜群。
 更に驚くのは こうした特別注文の技が 現在のヴィトンにそのまま受け継がれ、全てが伝えられて居る事でしょう。
 此の本の執筆者・パトリック ルイ ヴィトン氏は 直系五代目でありながら 一技術者として入社し 現在はヴィトン・スぺシアルオーダー部門・顧客担当責任者のお立場。
 「私は 職人だ」と御自分の事を言われます。

 このパトリックさんとは 素晴しい想い出があります。彼と御子息ブノア、私と娘の彩。御一緒に 山口から萩、津和野等3泊4日の旅をした事がありました。山口は私の遠い先祖の地。


 「室町時代、山口を西の京と呼び 約200年間繁栄した“大内文化”。 謀反で滅びたのが 大内家三十一代・大内義隆。

彼から数えて12代目に当たるのが私の父」。
 大内義隆の450回忌に当たるのが2001年だった事もあり 菩提寺の龍福寺を訪れたりして居りました。

 そこに パトリックさん達とご一緒し、法要にまでお付き合い頂いたのが此の旅。 雑誌「家庭画報」の企画でした。
 宿泊は全て和旅館、お食事も和食。彼にとっては 初めての体験と喜んで下さった 何とも楽しい旅だったのです。
 以来、彼は私の大切な「友達」なのです。

 所で 本の「日本語版創刊記念パーティー」に現れたのが 何と 私の大好きな本木雅弘さん。

 この場で 彼がオーダーしたベッド・トランクが御披露されました。
此のベッド・トランクは かつてフランスの探検家 P.S.D.ブラザがアフリカ コンゴ領権をめぐって出かけた1905年にオーダー制作されたものと同じ。
フランスでは誰もが知る高名な彼の業績、エピソードや絵・新聞そして実物写真までも 此の本に紹介されています。 これをオーダーされた本木さん“モックン”。
「子供の時から観てました!」と声を掛けて下さったのに甘え、ベッド・トランクの前で写真に収まって頂きました。

 「おくりびと」での感動そのままに、とてもピュアーな魅力溢れる彼。

NHKでのドラマ「坂の上の雲」での秋山真之役は 絶対に見逃せません。

 「新しい素敵」を次々と加える ルイ ヴィトンの「揺るぎない魅力の源」とも言える歴史的トランク達。
 現在・ルイ ヴィトン表参道店を広くしたのを記念して 展示されています。
ぜひ 一人でも多くの方々に 御覧頂きたいものです。

写真 ・「伝説のトランク100・ルイ ヴィトン」の本。
    ・パトリック ルイ ヴィトン氏を囲んで、ヴィトンのPR コミュニケーション ディレクター斎藤牧里ちゃんと娘・彩 そして私。
    ・本木雅弘氏と御一緒に。 オーダーされたベッド・トランクの前で。

2010年11月14日日曜日

肌保湿にアベンヌ ウオーター


 日毎に冬の気配濃くなるこの頃、肌の乾燥が気になります。

 私にとり これから 絶対に手放せないのが「アベンヌのウオータースプレー」。大ファン、信者とさえ言えそうなこの品。

 18世紀から「肌に良い水」として支持されて来た、南フランス生まれのアべンヌ温泉水。
南フランスの小さなアべンヌ村で湧き出す 自然の温泉水は あらゆる肌トラブルを抱える人たちを癒し続けて250年。
 現在は 此処に作られた「テルマリズム センター」に多くの人々が その治療にやって来るとか。

 「今から5億年も前のカンブリア紀に生まれた地層を40年かけて湧き出す此の温泉水」。
人工のあらゆるものを超えた 不思議な力で肌のトラブルを癒してくれます。
 
 これからの乾燥期 化粧の上からさえ スプレーすると、しっとり保湿してくれます。
風呂上がりには首、顔から手、脚までスプレーする私。
 特に冬場は、乾燥から痒くなることが度々でしたが これのお蔭で 何時の間にやら 回復しました。
 エアコンの温風も乾燥の素。スプレーで髪のカールの崩れが気になる時には 掌にスプレーし それを化粧の上から そっとなじませるのが「私流」。
 気がつけば 痒みは無くなり、肌もしっとり・・・私を虜にした理由です。

 アべンヌ製品には ウオーターの他に 優しい洗顔料から化粧水、美容液、クリーム 石鹸等など 実に沢山の製品が揃っています。
私がこの上なく愛用するハンドクリームも その一つですが、スキンケア、サンケア、ボディーケアの製品が沢山ある為、自分の肌状態に合わせて選ぶ事が可能なのです。

ピエール ファーブル ジャポン社 取り扱いは資生堂です。
写真はアべンヌ ウオーター スプレー 
50g  700円
150g 1500円
300g 2200円

 

2010年11月9日火曜日

尖閣映像に考える

 ユーチューブに流出された44分間の映像。

 誰が見ても強引にぶつけて来た中国漁船の酷さを非難する筈。
しかも、聞けばこの後 「海上保安部の保安官3名が 中国船に乗り移ったのを 漁船員達が海に放り出した」とか。正に命がけで「日本の領海を守る任務」を全うする保安官達。
 船長・漁船員達を拿捕するのは 当然である。
彼らを本国に帰してしまった挙句、その決定を「内閣の責任」とせず、記録映像公開をも 止めて来た政府のやり方には全く納得出来ない。
 もしも 早期に映像の全てを公開していれば、世界中の人々は日本の行動を支持しただろう。

 中国の顔色ばかり伺い、挙句の果てに、「映像流失犯人捜し」を優先させる千谷官房長官のやり方は正に「愚の骨頂」。
 管サンが国際会議で留守でも、全ての情報は 瞬時に伝え得る現代。官房長官だとて これ程の重要事項を 独自に判断し、勝手に進める等 もっての外。

 それ以前に 「明治28年(1895年)以来尖閣諸島が日本の領土であること」を 明確に 繰り返し 世界に示していれば 中国、ロシアの反応もかなり違うものになっていた筈。
 50年、100年先の我々の子孫の事を考えれば 今 見られる いい加減な行動がどれ程大きな損失を招くか、素人の私でさえ考えられる。
 
 自ら犯した愚行をよそに、映像流出犯人探しにやっきで、「守秘義務」「厳罰化」と叫ぶ千谷官房長官の酷さには ただ 呆れるばかりだ。
 こんな政治家達に 日本を任せて良いものか。 

 けれど 結局は こうした愚かな人々を選んだ我々選挙民の責任。
改めて我々自身の責任をシッカリと考え、二度と同じ愚行を繰り返さないよう 肝に銘じねば・・・と見守るだけの私である。

2010年11月4日木曜日

スワロフスキー クリスタル

カール ラガーフェルド デザイン
 「スワロフスキー・ジュエリー」

 今、世界的な大流行。多くの人々を夢中にさせて居る「キラキラ ピカピカのデコブーム」。

 アクセサリーは当然、バッグに服に 携帯からペンや爪に至るまで 何処を見てもキラキラピカピカ。 パリではエッフェル塔でさえ時間に依り キラキラ照明に変わったのが既に10年近く前の事でした。
 こんなブームを巻き起こした「大きな源」と云えば 「時代性」と それを支え続けて来たオーストリアに本社を置く「スワロフスキー」のカットクリスタルだと言って間違いないでしょう。


 既にかなり古くから クリスタルの研磨法やカラー、形その他に変化を加え 輝きや 種類を拡大させ、用途も置物やアクセサリー類、シャンデリアなどインテリアから 光まばゆいタイルに至るまで創りだしてきたのがスワロフスキーです。

 ファッションに関しても何十年にも亙り コレクション期間中に世界中からパリに集まるジャーナリストやバイヤー達に 新製品紹介展示を行い続け、同時に何人ものデザイナー達に素材を提供し、自由な作品作りを行って来ました。
 その結果が 現在見られる「デコブーム」を呼んだといえましょう。

 2010年には あのカール ラガーフェルドさえも作品制作を行い、その製品は日本でも販売される予定です。

 カール ラガーフェルドと云えば、シャネル、フェンディ、自身の名前を冠したブランド等で常に人気と大成功を収めるだけでなく、 写真家としても活躍する正に天才。

 今回のジュエリー、彼のイニシアルを象ったブローチや 永遠をイメージする円を使ったブレスレットなどがとてもチャーミング。

 ラガーフェルド氏と云えば 私にとって、沢山の思い出が数えきれない程あります。
 その中でも 忘れられないのは モナコに招待された時、飛行機で隣の席だった時の事。
 彼は様々な雑誌を 何十冊と買って乗り込んできました。
次々と頁をめくって見終わると、足元に落とす。その合間に「ここ、面白いよ」と私に渡してくれるのです。
モナコに着いた時にはほぼ全て見終わり、私も面白い部分だけを楽しませてもらった空の旅でした。
 「此の忙しい人が、常に時代を先に感じ取ってデザインする秘訣の一つの部分を覗いた」ような気がしたものでした。
 所でドイツ人の彼は 極く若いころから多くの人々に「ディマンディングだ」と云われて来たもの。
 その彼が21世紀に入る直前の事、コレクション後、マイクを向ける私に答えた後、私の手を両手で包み込み「いつも有難う!」と。
 こんな態度を見せたのは全く初めての事でした。
彼の中に「21世紀こそ 人の和と愛が大切」との想いが広がっていた為では、と感じたものでした。
 あの頃、私も含めて多くの人々は「21世紀こそ 平和と愛を共有する時代」と願っていたものです。でも実際には・・・


 現実の厳しさはさておき、こうして彼のスワロフスキー作品を眺める時、様々な事を改めて考えずにはいられない私です。
 写真 ・カールのイニシアル Kをデザインしたブローチ
     ・大きなスワロフスキーが輝くブレスレット

2010年10月21日木曜日

映画「レオニー」

 制作、脚本、監督 松井久子

 天才彫刻家と呼ばれ、世界を舞台に活躍したイサム ノグチの母、アメリカ人・レオニー(エミリー モーティマー)を描いた日米合作映画。
 舞台は約百年前。フィラデルフィアの名門女子大から始まる。津田塾大の創設者・津田梅子も同窓で卒業しているこの時代。自立し 文学を目指すレオニーが ある日 眼を止めたのは 編集者を求める新聞の三行広告。それは日本人詩人ヨネ ノグチ(中村獅童)の出したものだった。
 レオニーの協力でヨネの詩や小説は 一躍 英米文壇で注目の的に。
尊敬が愛に変わり・・レオニーは身ごもる。それを知ったヨネは 何と、彼女を置いて日本に帰国してしまう。


 男の子を生み育てる彼女に やがてヨネから度々の誘い。それは「日本に子供を連れて来るように」と云うものだった。
「言葉も通じない国に行くなんて」と心配する母を振り切って
 レオニーは3歳になる息子イサムと共に日本へ渡る。
 しばらくは日本の美しさや東洋の文化に惹かれた彼女だったが、やがてヨネに正妻の居る事を知り 彼の用意した家を出、働きながらイサムを育てる。
 小泉八雲の妻(竹下景子)や子達等 限られた人々との交わりの中で働きながらの子育ては孤独で厳しい。しかも珍しい混血児イサムは いじめられ登校拒否。反面 大工の仕事に興味を持ち、素晴らしい家を設計する等、アート的な才能を見せる。 彼の芸術的才能を強く信じたレオニーはイサムの求めるままに
13歳の彼をアメリカに一人で帰す。

 見方によっては、此のレオニーと云う女性は 自己主張が強く かなり無鉄砲。「自由な女そのもの」とも言える生き方。当時の日本では かなり異質だったことだろう。
 又、それだけに彼女の魅力は強烈だったに違いない。
友情出演の中村雅俊が演じるお茶の宗匠が 見事な着物を誂え、彼女の肩に着せかけるシーン。

静謐な茶室の中に広がる不思議な官能的情感等、随所に見られる日本ならではの 抑えた表現と情景の美しさは レオニーの「女の魅力や強さ」と対比し 此の作品を一層魅力的なものにしている。

 やがて時代は第一次世界大戦に突入。イサムからの便りは途絶え、大切な友も招集される。
 一方のイサム。単身アメリカに渡ったものの、学校は閉鎖され、母からの便りは届かず。その心を想うと胸痛む。
 こうした苦難や、日米間の戦争さえ乗り越え 強さを身に付け、自身の「芸術の花」を開き、羽ばたくイサム。

 イサム ノグチと云えば、山口淑子さん(嘗ては李香蘭と呼ばれ劇団四季のドラマにもなられた)と結婚して居られた時期もあった。

アメリカを本拠に 幾度か来日し、沢山の彫刻、庭園設計など パワフルな仕事を残している。
パリ、ローマ、アテネ・・と世界をめぐり作品を制作、「イサム ノグチ展」も多くの地で開き、コロンビア大学名誉博士号、ニューヨーク州知事芸術賞等受けて居る。

 イサムのこうしたエネルギーと才能を見る時、母レオニーの女としての在り方と その子育てに改めて教えられる。
 現代日本の「全て親がかり。大学の入学式でさえ親が同行する過保護風潮」に、改めて母と女、親と子、愛と自我などについて考えさせられるドラマ・映画「レオニー」である。

 11月20日(土) 角川シネマ新宿他 全国ロードショー
 配給:角川映画
 ©レオニー パートナーズ合同会社

2010年10月18日月曜日

「ファッション通信」パリ・ミラノコレクション

 BSジャパンの「ファッション通信」で 2011年春夏コレクションの放送が始まっている。
NYに続き ロンドン、 ミラノ、パリそして東京。各都市でデザイナー達の作品発表が 順次行われている現在。

 ミラノ。イタリーは 昔から繊維、皮革など 様々な素材の生産・加工の伝統と歴史を持つ。この国のデザイナー達が作品を発表する都市がミラノ。
 着易く実用性の高い作品が魅力。同時にラテン的な民族性を色濃く漂わせ、「セクシーさや、華やぎの大きな作品」が目を引く。
 又、プラダ等 時代をリードする存在や アルマーニ等「衣食住」全ての分野で 世界に大きく発展するデザイナーの作品は見逃せない。

 それに対し パリはアート的な要素が強いと言える。オリジナリティー溢れる創造力や 時代を先取りして示す感性が 厳しく評価される。
 と云いながらも、昨今の不況はここでも大きな影を落とし、60年代等への懐古的味わいや 一方にエスニック等 民族の長い伝統をテーマにしたものも目を引いた。 

 パリが依然として世界のファッションセンターと考えられ、他国のコレクションと大きく異なる点。それは「パリで発表するデザイナーの国籍の多様さ」かもしれない。
 純粋なフランス人としては、J.P.ゴルティエに続く名をスラスラと 挙げるが難しい程に、外国人が多い。
 シャネルをデザインするカール・ラガーフェルドがドイツ人であるのに始まり、ルイ・ヴィトンはアメリカ人、デイオールはイギリス人、コムデ・ギャルソンやヨ―ジ・ヤマモトは日本人・・外国籍のデザイナーが圧倒的に多い。
「才能さえあれば、国籍は無関係」。
 これが「パリをファッション世界の中心」とさせ、地球のあらゆる国からパリを目指して才能が集まり続ける 大きな理由かもしれない。
それだけに「面白さ」「完成度」「創造力」そして「時代性」・・等は非常に高く、興味は尽きない。

 さて「ファッション通信」では10月16日からミラノ2週、1回のお休みを挟んで 
11月6日からミラノ・パリと全8週にわたり放送する予定。
ぜひご覧頂き、世界の社会情勢や人々の「これからの時代に向けて求めるイメージ」を掴んで頂きたい。 

 BSジャパン、「ファッション通信」 
 土曜夜11:00 日曜午前11:00(再放送)。
 10月16、23、 11月6,13,20,27、
 12月4,11、 
其々 翌日 土曜 午前11:00に再放送。 

2010年10月11日月曜日

ニュージーランドの子供病院

娘一家4人が帰国。ホッと一安心。
 年に2度は帰国するだけに、心配する事は無い筈が 今回はいささか特別だった。
「あさっての夕刻帰国」と云う段階で「予定変更」。それも「病院から電話している」と云われて、驚いた。
「たいした事は無いけど、まーちゃんが顔を虫に刺され、腫れちゃって・・」と。

 翌日の夕刻に届いたメールと、帰国後の話で 安心と共に 改めて日本の現状と比べ 複雑な気持ちになった。

顔を虫に刺され、汚い手で掻きむしった為、菌が入り 顔が大きく腫れたとの事。
「次の日に日本行きフライトに乗る予定」と告げたら、医師から「完全に治した方が良い。それに腫れた顔だと飛行機に乗せてもらえないですよ」と云われその日は入院したと。
 6時間ごとに抗生物質の点滴。点滴中も病院のTVゲームをやったり、同じ部屋に居た子と仲良くなったりでマーちゃんは大ハッピー。夜は母親が隣に寝た為 安心していた。
翌日には回復、退院可能になったのに 「もう一晩泊まりたい」と言い出す始末。でも同室の子も退院したので彼も退院。
 「刺されたのが目の直ぐ下だったので、念の為、眼科にも行く事にしたけれど、医療費・入院代等全て無料。その上、眼科へのタクシーチケットまでくれ、勿論 眼科もタダでした」と云う娘の話。
 「小児科だから遊具も沢山あるし 医師も白衣ではない。女医サンが多くて、カーテン等も柄ものでカラフル、明るいムード」。

 此の報告は 私に安心と共に 改めて「日本では?」と考え込ませた。
人口の少ないニュージーランド。それだけ税収も少ない筈。その国で出来る事が 何故日本では出来ないのか・・・

 いくら保険を使っても ここまでの配慮は「夢」としか言えない日本。
医療どころか、保育所は待機児童が溢れ、母親は安心して働けない日本の現実。
 娘に言わせると「ニュージーランドの税金は 決して安くはない。でも、納得出来る使い方をするから 文句は無い」。
 税金が無駄に使われ、しかも闇の中で特定政治家の懐を肥やしている疑惑の大きい「政治と金」問題等、日本では 納税する我々国民が 納得しかねる事が余りにも多い。
 「仕分け」劇で国民を騙せると思ったら大間違い。
北朝鮮等 外国人の学校にまで我々の税金を使う一方、肝心の日本人子弟が不況で 進学を諦める例も多い等 とんでもない話。
 しっかりと 未来を見据え、より優れた人材を育てる事が最重要。資源の乏しい日本にとり 最大の武器は優れた人材。
それも より多くの子供を産み育て シッカリと教育する事。

「税金の使い方を納得出来る政府が欲しい」と改めて痛感させられた今回だった。

2010年10月7日木曜日

子供服誌「ミルク」


 私にとって、見る機会の少ない「子供服の雑誌」から原稿の依頼を受け、参考に1冊送られて来た。
「何故 私に・・」と不思議な気持ちを持って開いた「ミルク」。
頁をめくるに従って どんどん引き込まれ、熱心に見入ってしまった。
 私が予想した カタログの様な、或は漫画の様な子供服の雑誌とは 大違い。
お洒落っぽいだけでなく、アイディアあるテーマ、コーディネイトの楽しさ、写真の綺麗さ等、こんな子供服雑誌の存在を知らなかった自分を 恥じたのが本音。
 「多分失礼するかも・・」と思いつつ見始めたのに、見終わったときには「ぜひ書きたい」気分に。

 私に与えられたテーマは「着せ替え遊び」。
ごく幼い時から 人形等の「自分流着せ替え」が大好きだった事もあり 原稿そのものは何の苦もなく 書き終えた。
エッセイとはいえ、初めてのテーマだけに かなり楽しんで書いた私だった。

 今、手元に送られて来た「Milk No.13」の中ほど。自分の文を見る以上に 遥かに楽しい他の頁。
テーマの扱い方も ひとひねりした面白さや、アイディアに溢れ、しかも女の子、男の子の両方ともがおしゃれ、しかも実用性にも富んでいる。

 私の文から始まる「着せ替え遊び」テーマにしても、モデル、タレント、ブロガー等の方々が 御自分の子供さんの着せ替え方を写真に収めている。どれもがママの愛と お洒落な現実感一杯で何とも可愛い事、素敵な事この上なし。

 洋服だけでなく、インテリアや小物、ママ向けのお伽噺の解説など、子供を育てる為に役立つ知識も 様々に美しいページとして広がっている。

 幼時から8-9歳までの子供を持つ方達に是非お勧めしたい と強く思った私。
本屋で買うも良し、オンライン書店でオーダーするも良し、ウエブサイトを覗くのも良し・・・
 是非お勧めしたいと思うのが此の雑誌「Milk」。
ウエブサイト milkjapon.com
オンライン書店 Fujisan.co.jp
デジタル版はiPad, iPhone にも対応しており、専用ビューアーで
見る事も可能との事。

2010年9月28日火曜日

ダイアナ プロポーション コンテスト

美しさへの変身

 今 世の中にあふれている女性の「痩せたい願望」。
それを「只 痩せるだけではなく、健康的に その人の年齢・身長に合わせた美しいプロポーションを目指して、1年間で目的達成」を競うのが「ダイアナ ゴールデン プロポーション コンテスト」。今年が21回目。長い歴史である。

 私は仕事がら、これまで世界各地で 様々なコンテストの審査を経験してきたが、これ程に 大きな驚きと感動や幸せを受けたものは無い。
「健康で美しい体型」に変身した女性達の歓びは 見る者までをその幸せと感動に巻きこんでくれる。
 内容を もう少し詳しく説明すると:各人の身長・年代に合わせた「理想のプロポーション・バランス」、バスト、ウエスト、ヒップ、太ももそして体重等の「ゴールデン プロポーション」を割り出し、それを目指し、結果を出す。無理に痩せるのではなく 栄養バランスを十分考慮した食事を採り乍ら 健康的に理想体型を作り上げた女性達が 全国各地での一次、二次コンテストを勝ち抜き 最終の横浜アリーナでグランプリを目指す というもの。
 これには幾つかの規定が在り、期間は一年以内。年齢面では 20代から30、40、50、60代以上まで5部門。 それぞれ20人づつが、水着姿でこの最終選に登場する。

 年代別に 一人づつ大舞台中央に出ての30秒コメント。その後ろに映し出されるのは ダイアナを始める前の写真と各部分のサイズや体重 そして現在のサイズ。
 100キロを超える体重を30キロ、40キロと落とし 其処に立つ人と 同一人物だと思えない事は珍しくない。 
 「体脂肪率が大幅ダウン」 「腰痛が治った」 「生まれて初めてウエストのくびれを持った」 「洋服サイズが15号から9号に」「11号から7号に」 「40年前の洋服が着られるようになった!」  「夫や家族が協力してくれた」 「1年ぶりに会った人が私だと分からなった」 「健康診断で幾度も本人かを確かめられた」・・・ 「タレントでも、モデルでもない普通の女性」とは とても思えない程の美しさに輝いてのコメント。
 全国に950店舗ある「ダイアナ サロン」で行われる作業は、チーフと呼ぶ女性の「カウンセリング&アドバイス」。サイズの計測から始まり、その人の「理想体型の設定」。
 次は食事へのアドバイス。「必ず肉魚野菜等9品目をバランスよく食べる事」、そしてダイアナ特製の補正下着、マッサージ、健康食品・栄養補助食品の紹介等、全ての指導がチーフによって行われる。その他 セミナーなども有るとか。
 基本的には 週一回のサロン通い。その都度 サイズの計測と指導が行われ、2-3カ月で6キロ、7キロの減量やサイズダウンはごく普通の事らしい。 
チーフや仲間との交流と 見る間に変わるサイズが大きな励みとなり、1年たって気付けば見事な「ゴールデンプロポーション」と云うのが 全ての出場者の実際らしい。
 「20代ならともかく、60代以上の人までが水着姿で大舞台を歩く姿が美しい」なんて、正に驚き!!今回の最高齢出場者は 78歳、茨木の方。御主人から「君はいつも綺麗だね」と云わ
れるとか。何とも 羨ましい限り!

 今年のグランプリを得たのは、岡山の香西さん・33歳(写真上はダイアナ前、下は当日)
 今から楽しみなのは来年再びお会いする日の事。
これからの一年間で更に磨かれ、より美しく大きく輝くのがこれまでの常。
 一般的に云って、殆どの人は、外見だけで対応が大きく変わるもの。
綺麗な人には優しく 丁寧に接する。その違いは、スターと普通の人への接し方の違い程に変わるもの。こんな対応の違いを味わい、歓びを実感すれば、二度と以前の状態には戻りたくない筈。これがリバウンドを防ぐようだ。

 美しく、しかも健康になるダイアナのプロポーション創り。
政治や国際問題など嫌なニュースの多いこの頃、幸せと感動を貰ったこのコンテスト審査の一日だった。

2010年9月16日木曜日

「シェリ わたしの可愛い人」

原作S.G.コレット 

 20世紀初め ベル エポックのパリ。この街には 何とも不思議な美女達“ココット”が優雅な存在として 幅を利かせて居た。ココットとは「超高級娼婦」。
国家元首や富豪貴族等を恋人に 美貌・教養・プライドを持つ 当時のある種「セレブ」的存在が彼女達。 日本の芸者、花魁とは全く違い 完全な個人。 男心を自由に操り、莫大な金を吸い上げ 贅沢この上ない暮らしをする彼女達。
 40代に入り、未だ輝く美しさと 豊かな富を手に 引退したココットのレアは 一人でいる自由を満喫していた。 そんな時 元仲間から その息子シェリ・19歳で既に女遊びにも飽き、浪費する彼の面倒を見て欲しいと頼まれる。
 ほんの2-3週間と考えて預かったのが いつしか「男と女としての6年」が過ぎてしまう。そんなある日 突然告げられた彼の結婚話。しかも式は数日後。
 初めて味わう激しい動揺。息子ほど年下の彼を深く愛している自分に気付くレア。
 一方シェリも 多額の持参金と共に来た若い妻を楽しみながらも、レアへの想いを断ち切れない・・・・
 何とも不思議な いかにもフランス的と言えそうな世界。
あの「椿姫」も ココットだった訳だが、彼女達の鉄則は「相手には恋心を抱かせるが、自分は絶対に恋しない事」。
此の鉄則から外れたココットは貧しく、見捨てられる。椿姫・ヴィオレッタの悲劇もこれ。 
 こんな事を想い起こしながら 此の作品のヒロイン・レアの行動を追うと 何やら 良く納得出来るストーリー。
 「フランス的」と云えば、著者コレット自身の一生を眺めると 愛欲と不思議な色香と才能。並はずれたフランス風に満ちて居る。20世紀フランス最大の作家・女性初のレジオン・ドヌール綬章、1953年81歳で他界した時は国葬が営まれたコレットだが、 21歳で結婚、30歳で離婚。その後はパリのミュージックホールで乳房もあらわな踊りやパントマイムを演じ、39歳で大新聞社の男爵と結婚。 50歳で「シェリ」出版後、義理の息子と恋。
60過ぎには17歳年下と再々婚。その間に小説を書き、レジオン・ドヌールを受け、美容の世界にも挑戦・・・81歳他界、フランス初の「女性への国葬」が行われた・・・
 ドラマ以上にドラマティックな「シェリ」の著者・コレット。
もしもこれが日本であったら・・文化勲章等の対象に 果たしてなったかどうか。

著者と小説の主人公の 生き方や社会背景、加えて贅沢な衣装にインテリア等ナド。何ともフランス的と云うのか、不思議な魅力で人の心をぐいぐい惹き込んでしまう。
日本的な常識は横に置いて その面白さと興味に 手放しで溺れては如何?と云いたいのがこの映画。
10月Bunkamura ル・シネマにてロードショー

2010年9月11日土曜日

家庭画報 10月号

 今、店頭にある「家庭画報 10月号」に 過日パリで取材した素材が使われている。 ぜひご覧頂きたい。 「パリ、永遠のエレガンスに魅せられて」.21ページにわたり此の秋冬コレクション等紹介と共に。(P148-168)
 まるで60年代かと思う フレアースカートに ほっそりウエストのルイ ヴィトンの写真に始まり、次の見開きページは
 「1970年代―日本に初めて“パリモード”を紹介したのは家庭画報と大内順子さんでした」のタイトル。40年余前の誌面がそのまま使われ、エルメス、シャネル、ジヴァンシーの本店の内外、取材する私の姿・・・

 エルメスでは本店上階のアトリエからミュージアム、そして社長のインタヴュー迄。
 シャネルではオートクチュールの仮縫いを体験し、ココのアパルトマンからアトリエ。
 ジヴァンシーでは「インタヴュー嫌い」のジヴァンシー氏が 思いがけない優しさで接して下さり感激(これ以後、何十年にも亙り 心を許し 多くの話をして下さった)・・
 このシリーズは「初めて」という為もあり、好評で その後も続き イタリーから北欧にまで足を延ばすものとなった。
 正に日本人が「世界に目を向け 他国の素晴らしいものに目覚めた初期」だった。多くの人々が「シャネルは 香水屋かと思ったら洋服も作っているのか」と反応したのが 懐かしく想い出される。

 この2ページに続くのがディオール。
太平洋戦争後、世界の女性ファッションを一転させ、「女らしい美を復活させた」M.ディオール。
 現在デザインを担当する人気者J ガリアーノと会ったり アーカイブの数々を拝見したり。服は勿論、初めて日本で行ったコレクションショー(1953年)の資料迄が きちんと保存されていた。

 P160では今や人気沸騰・ランヴァンをデザインするアルベール エルバズへのインタヴューと写真。彼もインタヴュー大嫌いで、一切断ると言うが「ジュンコなら」と直ぐにOKしたのが嬉しかった。
続いてランヴァンの様々なアーカイヴ。現在パリの多くのファッションメゾンの中で最も古い歴史を持つランヴァン。創始者・ジャンヌ ランヴァンは室内デザインに加え 劇場のデザインまで手掛けた。現存する劇場はランヴァン・ブルーの座席、壁面。そこに 娘の名にちなんだマーガレットの金色装飾面を配し、何とも美しい。これらの写真は必見もの!!

 此の特集、まだまだ続いているが最後に「美しい物に接する感動や歓びが どれほど人の心を潤して呉れる事か! 感謝で一杯!」
と私のコメント。

 これは正に真情。何十年を経ても この想いは更に強くなっている。

 現在 どのマスコミも世界中の様々な物を伝えるのは ごく普通の事。
何と恵まれた時代に居る我々。けれど 不況と政治不信に目を奪われ 与えられた「大きな幸せ」を実感できないのは 悲しい事。
 悪い面もあれば、素晴らしい面もあるのが現実。
 限られた人生の時間を 少しでも幸せを探し 感動の歓びを広げ、 愛と共に生きたいと 改めて思う。

ランヴァンのアルベールとの写真・撮影・武田正彦                                                                                                                    

2010年9月7日火曜日

不可解な民主党代表選

 小沢サンと管サンが争う目下の民主党代表選。
以前にも書いたが これは 単なる党代表選びでは無く そのまま「日本の首相」選びである為、いやが上にも関心は拡大する。
 けれど、知れば知る程 納得不可能な事柄が 余りにも多い。

 先ず首相になる人は 当然 国民の大きな支持が重要である。
所が、国民の支持率と 民主党内での支持率は 正反対の模様という目下の状況。
 9月6日の時点で国民支持率は 管サン64% 小沢サン17%。
所が民主党内での支持率は どうやら正反対。
 加えて、小沢派議員の支持活動たるや 何とも派手!!!
しかも かなりの経費を掛けて居るのが TVの映し出す各地での集会その他に はっきりと見られる。
 なぜ、管派はお金を掛けず、小沢派は派手に経費を使えるのか?
現在の選択理由の一つは「クリーンな政治」。 
だが「黒い小沢サンのイメージ」を強調するようなこの状況を 指摘するマスコミは 目下の所、皆無。

 この選挙は 議員にプラスして 党員、サポーター迄含め 全体で1224ポイント。其のうちの国会議員のポイントは824ポイント、地方議員が100ポイント、その他の300ポイントを 党員とサポーターが担うと言う。

 何より不審に感じるのは 全体の約4分の一、300ポイントを持つ この党員・サポーターの存在。
年間6千円払えば党員に、2千円払えばサポーターになれるそうだが、国籍は問わないとの事。

 「もし、ある国が意図的に在日の党員やサポーターを沢山作れば 日本の政治を左右する事も可能になる!」のが民主党の規約。
 「危ない事 この上なし!!」
ちなみに自民、共産、国民新は党員資格を「日本国民」と規定しているが、民主党にはこうした規約は無い。
しかも小沢サンに至っては「私の決める事ではない」と 全く無関心。

 これら「外国の脅威」に加え、国民の支持率とは 正反対になりかねない選挙結果が生み出す「次の首相」の存在。そして一段と活発さを見せつける小沢派の派手な金使いの活動状況・・・

 何とも不可解で、納得できない民主党の代表選である。

2010年9月6日月曜日

婦人画報10月号

 久しぶりに婦人画報の仕事をした。

 想い起こせば、私が大学に入った直後、日比谷の喫茶店で声を掛けられ、「面白そう。志望するジャーナリストの世界を覗ける」と出かけたのが婦人画報社だった。
 その後 この学生アルバイトのモデル業は 思いがけず大忙しになったが、卒業と同時に完全廃業。「フリーのファッション・ジャーナリスト」へと転身。
 現在の仕事へのきっかけを作ってくれた恩は 忘れられない。
私の主人も まるで自分の会社の様に ここに出かけ、イラストやデザインを描いていたものだった。

 今回、10月号で 久しぶりに仕事をし、改めて以前の事が あれこれと想い出される。
1950-60年代。まだ豊かでは無かったが、婦人雑誌は急激に増え 若い女性向きの媒体も次々と誕生。けれど多くの女性誌の中で 圧倒的な権威を誇っていたのが 長い歴史を持つ「婦人画報」だった。
 此処のスタジオには 人気カメラマンから 高名なデザイナーまで 常に姿を見せて居た。現在も名を残す中原淳一氏から「僕のところにも来てくれないかなー」と云われたのも、又、秋山庄太郎氏等の写真家たちと親しくなったのも、このスタジオだった。
 ジャーナリストになってからも 取材したり、時には写真を撮られたり,本誌だけでなく、着物から美容まで・・随分沢山の仕事をしてきたものである。

 所で今回は「婦人画報」の50歳代読者の「今、私たちに“似合う“おしゃれ”」特集(p171-p194)。此の中で読者の先輩に当たる何人かと共に 私のこだわる“おしゃれポイント”を挙げた。
 私のテーマは「手のおしゃれ・・リング」について。
年齢を加えると様々な面で変化が現れる。中でも気になるのが「手」。
若い頃には「綺麗!」と云われた美しさが何時の間にか変わってしまう。それを目立たせず、接する人に不快感を与えずにすむ方法の一つが指輪の使用。

選び方、付け方次第で「今」のオシャレ感も生みだせる。 

しかもその価値は長く続き、効果的な働きを見せてくれる。

多くの宝飾品の中でも 最も日常的に活用出来、楽しみながら手の欠点をカヴァーしてくれる一つが指輪。
そんな事を1枚の写真から感じ取って頂ければ幸せ(p173)。
(撮影:若木信吾)

 私の頁だけでなく、多くの角度から「今の自分のオシャレ」を見直し、考える為、非常に役立つ此の特集。
年齢、立場とは無関係に、自分を見直し、考えるのは「必要と楽しさ」が大きい。
私自身も、改めて感心しながら楽しんだ特集であった。

2010年8月31日火曜日

直木賞受賞作に想う

「小さいおうち」 中島京子

 芥川賞と並び 多くの話題を呼んでいる此の作品を知りたくて雑誌「オール読物」9月号を買った。
受賞された中島京子さんの 写真と 選んだ方々の選評に続く「小さいおうち」。(30何ページかに上るが、第二章迄で その後は「あらすじのみ・・・」)。

 読み進めるうちに、些細なことだが酷く疑問を感じ 調査不足への不満が拡大する。
本筋とは無関係と云いながら、時代考証不足は 読者の不信感を招き、作品そのものへの興味を損なう。
 ただ普通に掲載された小説ならいざ知らず、これだけ「錚々たる選者諸氏」が選ばれた作品なのに、何故誰も気にしなかったのか 不思議でならない。
 それも 遥か何百年も昔の史実ではなく、まだまだ当時を知る人間が多数生きている昭和初期の事。
しかも此の作品は 「主人公の老女が 時代の流れを実際の生活を通して語りたい」との発想を設定し、書かれている。それなのに、生活の中での間違えはどうしても消し難い不信感を残す。

 例えば「女中」という名称に続くくだり。
「昭和の初めになれば、東京山の手のサラリーマン家庭では、女中払底の時代になっていたのだから、「タキや」と呼びつけにされるようなことは一切なく、かならず「タキさん」と「さん」ずけで呼ばれ・・・」の一節。
 私の記憶の中では「父方の祖父母」「母方の祖父母」両方の家には 常に複数の女中が居り、その呼び方は必ず「・・や」であった。
上海生まれの私は父母と共に度々東京に帰国したが、この呼び方は我が家だけでなく 近隣のどの家でも同じであった。幼かったと言え、私の記憶は鮮明である。
 当然、昭和5年に東京に出て女中になった主人公は「・・や」と呼ばれた筈。昭和5年と云えば 私の生まれる何年か前の事。
しかも当時は まだそれほど女中払底ではなかった。

 女中探しに苦労し始めたのは太平洋戦争が始まって2年程後。
祖母が女中探しを出入りの人に依頼していたのを記憶している。
但しこの時代については作品第三章以降なので詳しい記述は今回の「オール読物」では省略されているが。

 一方、作品中にある、甥の若い息子から反発される「女中は行儀見習い・・」の部分は あながち間違えでは無い。
当時、東京に出て良い家で女中として働くのはかなり「誇れる事」だったと知ったのは はるか後年になってからの事だが。
 父方祖父の生まれた九州に出かけた時、訪ねてくれた女性から「彼女の身内の一人が、東京の祖父の家で女中を経験した事が とても大きな自慢の種だった」と聞き、「女中が幾人も居た理由」を納得したものである。
 どうやら、女中には2種類あり、何年も務める「家付き女中」と「ある期間、行儀見習いをした後、時には嫁に出してもらう事さえある女中」がいたとも思える。この点は 此の作品に書かれているのは正しい様だ。

 いずれにしても、多くの人が知っている事を 限られた知識のみで断定的に書くのは非常に難しい物。今後の中島さんのご活躍を期待しながらも、「書く事の難しさ」を 改めて教えられた思いで読んだ此の作品であった。

2010年8月24日火曜日

アメリア・永遠の翼

 ヒラリー・スワンク、リチャード・ギア。素敵な顔合わせ!この映画は 世界で初めて大西洋を飛んだ「女性飛行家・アメリア・イヤハート」の実話。
 時は1928年。女性が飛行機を操縦し、アメリカからイギリスまで飛ぶ等 誰一人考えもしなかった時代。
アメリカ中が此の勇気ある女性に熱狂し、国を挙げてのパレードで大歓迎。凱旋帰国した彼女は忽ち超人気のセレブに!!
 以来「史上最も有名なアメリカ人10人」に必ず入るという。
 彼女がその名を広めた翌年・1929年と云えば ニューヨークで株の暴落から「大恐慌」が世界中に広がった時。
こんな中で、次々と「大西洋横断単独飛行」「大陸横断」「太平洋横断」と新しい冒険を成功させ続けた彼女。不況に打ちひしがれた多くの人々に 勇気と夢を与えたアメリアが 映画スター以上の人気と評価を集めたのは 現在想像する以上だったに違いない。
 一方で この時代は「女性解放・自立意識」が大きく高まり、ショートヘヤーに活動的なファッションが喜ばれた。
 パリではココ シャネルが、服、香水とビジネスを広げ、「新しい時代の自由な女性」としての人気を集めている。

 こうした時代背景を知ればアメリア人気も 深く頷ける。
同時に 空を飛ぶ、それも大海原を超えて飛ぶ飛行士の存在は「尊敬と憧れの的」であった。「翼よ、あれが巴里の灯だ」の言葉で有名なリンドバーグがニューヨークからパリへの初飛行に成功し世界中を沸かしたのは、アメリアの直前。

 ヒラリー・スワンク演じるアメリアの 限りない夢を支え続けたのが、リチャード・ギアが演じるジョージ。広報を担当し 飛行に必要な費用捻出等すべての面で奔走、やがて結婚。束縛を嫌う彼女は 一方でパイロット教官ジーンとの恋も。
多くの新記録樹立の最後に、彼女が描いた夢は「単独世界一周飛行」だった。夢実現を懸命に支える夫への愛に再び目覚め、「これを最後の飛行にする」と誓う彼女。
 しかし当時の機材では 途中での燃料補給が欠かせない。それが可能なのは只1か所。絶海に浮かぶ砂粒ほどの小さな島のみ。果たして・・・

 何ともドラマティック。 冒険と自由、愛と感動に満ちたストーリーは 「フィクション以上に胸躍る面白さ」である。

 興味深い見所は非常に多い。当時の社会、音楽等と共に 見落とせないのがファッション、特にアメリア自身、その名を付けて展開したブランドの「飛行士ルック」を始めとする数々のファッション。全てが、そのまま 今着たくなる魅力に溢れている。

 又、余談だが、現在誰もが使う腕時計。
これを初めて作ったのは、1904年。ルイ・カルティエが 友人の飛行家・サントス・デュモンへ「操縦中に便利な為」であった。
 映画の中で、恋人ジーンとの別れに 自分の腕時計を外し 「彼の息子」へと渡すシーンがある。当時の「腕時計の価値の大きさ」を想えば、この場面の印象も変わるというもの。

 「夢に限度は無い!」。自由に羽ばたき、夢を求め続けた彼女の生き方は 「大不況」と云われる現代の私達にも 大きな力を与えて呉れるものだろう。


(C)2009Twentieth Century Fox
11月27日、TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

2010年8月19日木曜日

ロレアル パリの新製品に感動!

 美容液とコンシ―ラー

 ロレアル パリから凄い効果を持つ製品が2種類 発売される。
「引き締めて キメなめらか!」の美容液「スムージング  エッセンス」と 「毛穴ゼロの肌印象」とサブタイトル付きの「ダブルコンシ―ラー」。

 先ず美容液は 朝晩 化粧水、美容液の後に1-2プッシュを手に、気になる部分中心に顔全体に優しくのばす。
 美容液で引き締めた肌を見事に美しく見せるのが 化粧用に使うコンシ―ラー。
これまで、殆ど全ての化粧品会社が 様々なコンシ―ラーを販売して来ただけに 聞いただけでは何の驚きも無かった。
 所が試した結果の素晴らしさは 正に感動もの!!
細く横長の外見は両側がチューブ状になっている。① と番号のついた赤部分。回して外すと先端に小さな穴。優しく押すと極く僅か出るクリーム状液。シミそばかす部分だけで無く良く伸びるので優しく顔全体に広げる。
② 反対側のベージュ色部分も僅かを ポイントおよび全体に優しく広げる。
 たったこれだけで、普通のファンデーション以上に滑らかな美しい肌が出来あがるのは びっくりするばかり。

 十分に薄く広がる為、まるで素肌気分。「何かを塗った」的な感蝕は全く無いが、シミそばかすの無い綺麗な肌に早変わりしている。
その後は いつものパウダーファンデーションを軽く使うだけで「驚きの見違える肌」完成!!!

 今年の異常と言える「太陽の強さと暑さ」に 気付けば小さな傷さえシミやソバカスになり 肌を黒ずませて見せる。いくらファンデーションを使っても汗で直ぐ落ちてしまったのが、こんな少量だけで見違え、しかも長持ちするとは!

 何とも嬉しい新製品だけに、ぜひご紹介したいと思う私。
しかも価格的にも嬉しい。 
 ・美容液 ¥2940、-
 ・コンシ―ラー ¥1575、-
さすが「売上げ世界一」と云われるロレアル社だけの事は有ると感心する。

2010年8月16日月曜日

政治不信とこれから

 終戦65周年行事の陰で、「民主党の党首選挙」への動きが不安を掻き立てる。
「党首」イコール「日本の首相」であるから、我々国民にとり これは最重要問題。
所が顕著化される 各議員達の動きに「権力・金力への傾き」ばかり目立っている。
 「党利党略」と云う以上に 明白化される「私利私欲」至上主義。
金を中心に集まり、金が全てを動かすかに見える今の民主党議員達。口先だけは「国の為」「国民の為」と唱えているが、余りにも空しく響くこの言葉。
 裏で 全てを動かそうとする姿勢が強く見える小沢サンの存在。
 一度は引退表明をしながら 今や小沢とも手を組み 復帰への動きを確実化させる「口先だけの元首相・鳩山サン」。
 党内「反管」の動きに成す術もなく、時には「小沢へのすり寄り」さえ見せる管サン。
まるで密に集まる蜂の様に 金と権力至上主義に徹する小沢の周りを 右往左往する民主党議員達。

 日本の未来の在り方を 5年先、10年先、更には50年100年先迄のヴィジョンを しっかりと描き、「其れを達成すべく 身を捨てても 進もう」とする人材は居ないのだろうか?
決してそんな筈は無い。かならず志を抱く人材がいる筈。その人々を「私利私欲」化させる 悪いウイルス菌が国会と云う場には 生息している としか思えない現状。
 「議員数削減」「歳費の日割り化」さえ自己利益に反するとみるや 最終決定に至らないこの浅ましさ!まして「政党助成金撤廃」など云いだす議員は皆無。

 と云って自民党なら良いとも言いにくい現状。
野党になった後も まるで「重箱の隅をつつく」様な動きしか出来ない自民党議員達。当然 此処にも優秀な人材は存在する筈。
我々国民は 「只 黙って税金を払い続けるしかない」という現実にどう立ち向かうべきだろうか。

 改めて考えねばならないのは、我々自身の事。
「名の知れたスポーツ選手」や「TVで顔の知れた美人議員」が多数票を得て当選するという「愚かしい結果」を作り出したのは私達国民自身。
 自分の持つ1票の大切さを 改めて真剣に考えねばならない。

 今、中心に居る「愚かしい政治家達」が 果たして経済を立て直し、国民の幸せを作れるとは考えにくい。
次の衆院選で 私達が 同じ愚行を繰り返さないよう 心に厳しく銘じない限り「日本没落」は目前に迫っている。
 国の向うべき「未来へのヴィジョン」をしっかりと持ち、国民の幸せ実現に取り組む人材だけが集まり 超党派で政治に取り組まない限り 日本の未来は下降するだけ。
 子供たちの顔を眺める度に 不安と絶望感が益々拡大する現在である。

2010年8月8日日曜日

私の本の 購買客層データ

 今年6月出版の私の本「いくつになっても美しくいられる秘訣」(講談社新書 ¥838、-)について或る書店サンが購買客の調査をして下さったらしい と編集担当の方から聞いたのは先週の事。

 これまでの長い間に私が出した本は13冊。決して多いとは言えませんが こうした「購買客層に関するデータ」の存在など全く知らなかった私だけに、いささか驚きました。

 その内容を聞いて更に大きく驚いたのは 何と「男女の比率がピッタリ半々らしいとの事!」。
更に年齢的に見ると、下は男女ともに19歳から始まり、「30-50以上」と広がっているとか。これにも 又びっくり!

 どう考えても、「圧倒的に女性が中心、それも高年代」と思い込んでいた私。
所が 若い年代の方までが興味を持ち 買って下さったとは 考えても見ない事でした。
 現在 アマゾンも在庫切れだと聞きますし、講談社にも残りが殆ど無いとか。
これは良い事なのか、それとも悪い事なのか・・・
全く理解出来ないでいる私です。
 
 2008年 イーストプレス社刊行の「たたかわない生き方」は現在4刷目。
未だ動きが在ると聞きます。
けれど講談社は手堅い会社だけに 書店サンからの返本を待っている状態なのでしょう。

 いずれにしても、出したからには「一人でも多くの方に読んで頂きたい」と願うのは誰しもの事。
 「まるで 私の裏側、舞台裏を全てさらけ出した様な 恥ずかしさ」を我慢しつつも、より多くの方々に読んで頂きたいと 切に願う私です。

2010年8月5日木曜日

高齢者の所在不明問題

 此のところ、連日TVや新聞を賑わす「100歳以上の高齢者行方不明」の話題。
8月5日の時点で何と全国で57人に上っている。

 私自身が 親や祖父母、又周りの人々を 想う時「そんな事、在り得ない!!」との気持ちが非常に大きく、全く信じ難い。
けれど、その一方で想い起こすのは 近年に見た「2本の名作映画」・「おくりびと」と「おとうと」である。

 「おくりびと」で涙を誘った父親の死。息子は「女を作って出て行ったきり、消息を絶った父親の死を聞いても許す気になれないが、妻や周りの人々の言葉で 見届けに行く。死んだ父の握りしめた掌の中に幼い日の自分が彼に渡した小石を見つけ、父への気持ちを大きく変える」。 多くの人々が涙したあのシーン。
 一方の「おとうと」は 酒におぼれ、何時も迷惑をかけ続ける弟への「姉の愛」と「ホームレスを優しく介護する人々」の存在が 観る人の感動を誘った。

 いずれも100歳よりはるかに若い人物の話とはいえ、所在不明になる可能性としてみれば 同じ。
「其の人を想う人間の存在」が感動を誘ったからこそドラマになり得た。と云う事はドラマに成るほどに特別なもの、それが「現代の肉親への想い」なのだろうか。

 現実には50歳、60歳で所在不明のまま過ごしている人は莫大な数に上るに違いない。
当初は「直ぐに帰って来るかも・・・」と待っていたのが5年10年と経ち、気付けば100歳以上になっている。そんなケースも結構多いのかもしれない。
又、兄弟姉妹から その子供世代までも高齢者、しかも認知症等の場合は 其のまま放置したとしても 不思議ではない。
 加えて 「個人情報厳守」の壁を乗り越え 役所等が立ち入る事の難しさも想像される。

 改めて「現代社会の人間関係」の希薄さと、高齢化社会の現実に心を強く痛められた この問題である。
 

2010年7月29日木曜日

サンモトヤマ 茂登山氏  フィレンツェでダブル受賞

 銀座並木通りに大きな店を構える「サンモトヤマ」は「ブランド意識発祥の店」とさえ言える老舗。
現在日本で見られる「ブランド真価を認め、広めた」人物こそ この茂登山長市郎会長。
 
本年6月、その茂登山氏がイタリア・フィレンツェに於いて 最も格式ある「アポロ賞」を授与され、又「フィレンツェ市名誉市民賞」をも受けられた。
「ルネッサンス発祥の地」として知られ、この上なく美しい、アートと歴史の街・フィレンツェ。
ここの「城壁扉を開ける四つの鍵」が「名誉市民」の印、初めての日本人として受けられた。
又、「アポロ賞」とは 文化 芸術等の分野で活躍した人に与えられ、「9人の街の守護女神」とそれを率いる神「アポロ」の名が付けられた賞。

茂登山氏に贈られたのは この最高の「アポロ賞」。何しろマリア カラスや シャガールさえ受けた大変な賞である。
地元の各新聞は 大きなカラー写真入りで今回の受賞について取り上げた。

 受賞の大きな理由はフィレンツェの象徴ともいえる 大きく美しいサンタ マリア デル フィオーレ大聖堂にあるサンジョヴァン二洗礼堂の巨大な「天国への扉」のレプリカを制作寄贈した事。
この扉は1966年のフィレンツェ大洪水、その後の空気汚染の為、大規模な修復と保管が必要となり 90年に 大聖堂内の美術館に保管されることになった。
 多くの観光客は外された「天国への扉」の前で「無残に貼られた板戸」に大きな落胆を味わったものである。そこに純金メッキし本物と全く同じレプリカを制作 寄贈したのが茂登山氏であった。 
 彼がグッチを始めフェラガモ、ロロ ピアーナ、エトロ、トラサルディ・・・など多くのイタリー製品を日本に紹介して20余年が経た1990年の事だった。
 「たまたまこのギベルティによる10枚のパネルの型が残されているのを知って制作依頼した」と茂登山氏。
このパネルにはアダムとイヴの創造など旧約聖書から取った題材が彫刻され、ミケランジェロをして「天国への門にふさわしい!」と言わしめた事からこう呼ばれるようになったという。

 「イタリーでは法律上 金メッキが禁止されている為 フランスまで運んでメッキした・・」など完成までの御苦労がしのばれる。
 味気ない板張りに代わり、昔ながらの感激を多くの人々に贈った功績。又何億もの費用を惜しまず、寄贈した事へのフィレンツェの感謝、そしてフィレンツェの誇る名品を日本に紹介した事等ナド。
 それを「私はこの街から多くの恩寵を受けた。恩返しが出来た事に感謝する」と 当然のように話される茂登山氏。

 「扉の寄贈20周年」に当たる今年6月12日 贈賞式当日、茂登山氏の為に「特別の時以外は開かない扉」が開けられ、ヴェッキオ宮殿「500人の間」で市長に依る式典が執り行われたという。

 今年89歳になられる彼。その若々しさと情熱は以前と全く同じ。御一緒させて頂き、昔の話など、幾度にも亙り伺ってきた私だけに、今回の御受賞は 何よりも嬉しいものであった。
又、美しいものを愛し、より多くの人にこの幸せを分かちたいと考えられる彼に 改めて心よりのお祝いを贈りたいと思う。

 写真は・フィレンツェのシンボルの一つ「サンタマリア デル フィオーレ大聖堂」
・「美しい彫刻パネルの天国への扉」の前で「花の大聖堂管理局長ミトラノ女史等と 89歳とは思えぬ茂登山氏。 
・「アポロ賞」「名誉市民の鍵」を前に茂登山氏と私

2010年7月22日木曜日

シャネルの宝石・羽根

 「本物の宝石以上に美しい“コスチューム ジュエリー”」(所謂イミテーションのアクセサリー)。
生前 常にこう云い続けて居たココ シャネルがたった一度だけ本物の宝石をデザインしたのは1932年、彼女が49歳の事。
その売り上げの全てを 慈善団体に寄付した彼女。 しかしその一方で「私がダイヤモンドを選ぶ理由、それは密度の濃さ。最も小さなものでありながら、最も大きな価値を持っているから」と、云い続けて来たのがココ シャネルであった。
彼女の「宝石類への好み」を伺える言葉である。

この1932年の作品には現在、広く知られる「星」「太陽」「リボン」等のモチーフがあり、その後様々なデザインへと発展されて来た。
所が たった一つだけ、今まで復活を見て居なかったのが「羽根」のデザイン。それが今回のメインテーマになっている。
 ホテルに届いた小型封筒からは 白いオーストリッチの羽がホロリとこぼれ落ち 「シャネルの羽根・プリュム ドゥ シャネル」とテーマを刻まれた招待状。

 ブローチとしてもティアラとしても使えるしなやかな作り。加えて部分的に離して他の使い道も用意されているのは さすがシャネルらしい「おしゃれと合理性」の合体と云うべきか。 
正に「自由とクリエイティヴ、モダンな現代精神」そのもの。
 胸元に飾ると体に優しく沿い 更に美しい輝きを見せる。何と云う輝きと、しなやかな作り!! このしなやかな動きがダイヤの輝きを より大きなものにする。

 今回パリで観たのは数種類のデザイン。この9月に行われるパリ グランパレでの「アンティック ビエンナーレ」への出展が予定されているが 未だ全製品30点余の全てが完成している訳ではない。
 この段階で観たとはいえ、満足度十二分の歓びを呉れたハイジュエリー「シャネルの羽根」であった。

2010年7月18日日曜日

パリ オートクチュール コレクション

 この7月 暑いパリで観たオートクチュール・コレクションから特に印象的なものを拾って御紹介。
但し 詳細は、美しい映像の「ファッション通信」8月15,22の2回にわたる放送でじっくりと御覧頂きたい。(BSジャパン土曜夜11時、再放送は日曜朝)

・「シャネル」 シャンゼリゼ通りコンコルド寄りに 大きく構えるグランパレのドーム型ガラス屋根。1900年パリ万博用に建てられ、当時の世界を驚かせた「パリを象徴する建物」の一つ。
ここで行われたのが 今回のシャネル・オートクチュール・コレクション。
 明るく広い会場。大きな円形ステージ上には金色の「巨大なライオン像」。3階建てビルほどもある大きさである。「獅子座の女・シャネル」を想えば 頷けるというものだが。今回最大の見どころはスカートや袖、ブーツ等など あらゆる部分で見せる「丈や長さの新しい表現」と「伝統技術の発揮」だろうか。秋冬シーズンに欠かせないコートは 暖かそうな膝下丈だが袖は5分丈、中に着るのは膝上丈、組み合わせるブーツはふくらはぎ半ば。
5分丈袖からは 下に着る服との色合わせが、或いは幾つも重ね使いするバングルが手首を飾る。 オートクチュールならではの手の込んだ刺繍は コートにさえあしらわれ、華麗かつ豪華。夜のドレスも 多くは膝上の短かめスカート丈。組み合わせたブーツにさえ、同じ柄のゴージャスな刺繍が使われているが 印象は非常に軽やかで若々しい。最後のお楽しみマリエ。何と花嫁の手を引くのはライオン姿の新郎。獅子座を強調し ココ シャネルを強く印象付けた。
 「誰もが着たい」「新しい提案」「楽しさ」・・・価格を考えねば全ての女性に「身近さ」を感じさせながらも、新鮮な提案を欠かさない才人・カール ラガーフェルドに依る 魅力溢れる「シャネルのコレクション」であった。

・「ヴァレンティノ」 
ヴァンドーム広場にある社屋のサロンを幾つか使用し、昔そのままの形式で行われたショー。デザインするのは引退したヴァレンティノを引き継ぐM.G.キウリとP.P.ピッチョーリのデュオ。このメゾンの伝統と言える華やぎを 更に 大幅に取り込みながらも「若さ」を広げたとはもっぱらの評。
 花を想わせる布地の扱いが 短いスカート丈のドレスに女の艶と愛らしさを加え、楽しませてくれる。
 随所に現れる鮮明な「赤」は ヴァレンティノのシンボルカラー。特にショーの最後を飾るのは「深紅のイヴニングドレスが伝統」とさえ云われてきたこのメゾン。
今回も白、黒と共に赤が使われ 世界から集まる顧客やジャーナリスト達を喜ばせた。

・「クリスチャン ディオール」 
会場は「考える人」の彫刻等で知られるオーギュスト ロダン美術館。ここは広い庭園の美しさでも有名な上、独特の静寂さと彫刻類が放つオーラのせいか、これまでも度々コレクションのショー会場に使用されてきた。
 庭に透明なテントを建て 庭園の緑や花を見せながらのコレクション。
デザインする人気者・ジョン ガリアーノのメインテーマは「花」。
 ランウエイ正面には大きく鮮明な色の花。其処に現れるモデル達はさながら花そのもの。顔からヘヤー迄 透明なラッピングペーパーで包まれている。
使用されたのはもっぱら花の色。花弁を想わせるシルエットや生地扱いなど。
 常に驚きと「仮装舞踏会」のような楽しさを放つガリアーノならではの作品。
しかもこのメゾンの創始者 ムッシュー ディオールの好みをしっかりと引き継ぎ、現代的、彼的に解釈した作品。
 世界で僅かに残る一握りの「超リッチ顧客」と 我々多くの「見て楽しむ」人々を喜ばせ、ファンタジーと夢を贈ってくれたディオールである。

2010年7月14日水曜日

今回のパリ取材

 暑い暑い今年のパリ。昼間は文字通りの「カンカン照り」。
そんな中 忙しく、でも最高に楽しく幸せ気分一杯で行ってきた今回のパリ取材。 主目的は雑誌「家庭画報」10月号(9月1日売り)の為でした。
内容については「家庭画報」でご覧いただくとして、私にとり、何とも感銘深い想いを噛みしめた今回だったのです。

 改めて思い出すのは、今から37年も前の事。
それまで何年間か せっせとお金を貯め 毎年ヨーロッパやニューヨークなど、「世界各地を旅する事」に熱中していた私。その都度 可能な限りパリに足を止め「コレクションを見る」のが大きな歓びでした。
 「こんなに素晴らしい美しさや感動! より多くの日本の方々にその源を 直に伝えたい!」と考え始めたのはジャーナリストの私にとり 極く当然な事。
 所が60年代終わりから70年代初めの当時は マスコミの誰もが「そんな事 受けてくれる筈が無い。不可能に決まっている!」と思い込んでいたのです。
どの雑誌の 誰に話しても、全く関心を示してくれません。
 そんな矢先、たまたま「編集長の交代」が行われた「家庭画報」で 「出来なくても気にせず、とりあえずやってみて」と取り上げて下さったのが新編集長でした。
只、「実現不可能かも・・」と全員が考えて居ただけに、「取材への同行者無し、カメラは現地の人」が条件。
 パリに住む友人が「主人が長期出張で不在だから 我が家に泊まったら?」と云ってくれたのを幸いに 彼女宅に泊まり、ついでに「ドライヴァー役」まで引き受けてもらって行ったのが「初めてのパリ本店取材」だったのです。
 現在では 全く信じ難い事ですが、これが日本の全マスコミ・ファッション誌で、「本邦初」のパリ現地取材であったとは!!!

 「シャネル」「エルメス・「セリーヌ」。どのブランドも大歓迎し 大きな好意を以て応じ 協力してくれたのは云うまでもありません。
以来この「一流店(ブランドと云う呼び方さえ無かった当時)現地取材」企画はパリだけでなくイタリーから北欧にまで 何回か続きました。
 其の数年後、TVでも同じことを自費で行った事は又の機会に書きたいと思いますが、そんな状態で始まり 現在へと続いてき来た「私の仕事とその歓び」。 
今回は特に 感慨深く、大いに楽しんで来ました。

 詳細については ぜひとも「家庭画報10月号」でご覧いただきたいと願って居ります。 ちなみに 現在店頭にある「家庭画報8月号」の「名品の条件」という特集でも 私の考え方を御披露させて頂いております(P117)。 ご覧頂けると幸せです。

 次は今回のパリで拾った数々の感動、歓びについて綴ってゆきたいと考えています。

2010年7月1日木曜日

パリ出張

 7月のパリは 「オートクチュール コレクション」シーズン。
加えて今年からは パリ・ヴァンドーム広場に店を構えるフランス最高級宝飾店のプレゼンテーションも行われます。
 それらを見る為 パリ出張予定の私。このブログも10日間ほどは御休みとさせて頂きます。
 帰国後には おみやげ話その他、沢山のニュースや感想をお伝え出来る筈。 
7月半ば過ぎ、どうぞ又 このブログを御覧下さいませ。お楽しみに。  大内順子

2010年6月27日日曜日

 シャネル秋冬コレクション

そびえ立つ氷山と流氷に水。会場全体は正に北極。
其処に繰り広げられたのが シャネルの秋冬作品のショー。
 長い毛足のロングブーツに 寒さを防ぐコートやジャケット、ミニスカート等。
「北国生まれの私は雪が好き。今回はカントリーとファームをテーマに取り上げた」とは デザインする天才ドイツ人クリエイター・ カール ラガーフェルドの言葉。

 さまざまに使用されている毛皮、実は全てが人工の「フェイク ファー」。カール ラガーフェルドはこれらを「ファンタジー ファー」と名付けている。 見方によっては北極の氷が象徴する「地球温暖化」、そして人工の毛皮は「国際生物多様性年」に応えるなど 全ては「エコ」意識の現れとも受け取れるのが 今回の作品。
 エスニックモチーフのニットのパッチワーク、ツイードやチュール等様々な素材と「ファンタジー ファー」の組み合わせが 暖かさを感じさせ 何とも新鮮。
 アクセサリーとして 何連ものパールにアイスキューブをイメージしたパーツがあしらわれ、時には 氷河を割った様に大ぶりなネックレスやイヤリングが輝く。
透ける素材を飾る 立体感あふれる造花や 輝くビーズの刺繍。そこに続くファンタジーファーのスカートにロングブーツ。

 此の魅力、美しさたるや!! 人の目を釘付けにし 離す事を不可能にさせてしまう。
若さ、感動、喜びの中に さりげなく対処して見せる現代の地球規模の環境問題。
正に「これぞシャネルの凄さ!!」と痛感させられた今回のコレクションであった。

告知「私の本のプレゼント」

 このブログでも御紹介した 私の新しい本・「いくつになっても美しくいられる秘訣」を 抽選でプレゼントする事が決まりましたのでお知らせ致します。

「ファッション通信」BSジャパン 
7月3日(土)23:00
再放送 7月4日(日)11:00
当日は2010年秋冬 東京コレクション・放送予定です。

 どうぞ ふるって御応募下さいませ!!

2010年6月19日土曜日

私の新しい本 完成!


「いくつになっても美しくいられる秘訣」
 講談社新書 6月21日刊行 ¥838.-

 以前、このブログに「ゲラ チェック中・・・」と書いた私の新しい本が完成。
6月21日 書店に並ぶ予定です。
題名については、前にも書いた 私が望む「美しくありたいと願う」とか「身綺麗で居たい・・」では弱すぎると却下され、上記のままになりました。
 「美しくもない私が」との恥ずかしさを抑え、この本についてご紹介させて頂きます。

 「このままでいけば、私はうつ病になるのでは・・・」という書き出しで始まる前半。
主人の看病・介護に明け暮れた日々。事件の数々,一人で背負い込む大変さや 落ち込む気持ち等。
そして結局はプロの手を借り、「安心と 心や時間のゆとり」を得た今に至る迄の道のり。
 現在の「高齢化社会」で悩むのは高齢者だけでなく、その子供世代迄 かなり幅広い多くの方々です。
私の経験が そのまま役に立つとは思いませんが、何かの形で少しでも・・・と思う気持ちから書きました。

 第3章から始まる「後半」は。
絶え間無く忙しさに追われ続けて来た私の人生で編み出した「私流 簡単オシャレ法」や「良い品、役立つもの」等の紹介。
「誰が見ても素敵」を作る演出術…人から学ぶ、でも自分流に。
そんな感じで綴ったものです。

 学生時代のアルバイトモデルを含め、何十年と仕事を続けて来た私ですが、常にスケジュールびっしりの忙しさ続きでした。
加えて世界あちこち飛び回る日々。ある時期にはパリ・ミラノのコレクションに加え ロンドン、マドリッドにバルセロナ、更にはニューヨーク等など、コレクションやら取材やら。そして国内でも各地でのイヴェントや講演、取材と 動き回ってきました。
 同じテレビの仕事でも、我々の携わる 所謂「文化番組」は娯楽ものやコマーシャルと違い 常に予算はかなり限られているのが常識。雑誌なども同様です。
タレントさんのようにヘヤーメイクからスタイリストに秘書・マネージャー迄引き連れて行けるものではありません。まして 入場困難なコレクションに 不要な人を連れて行く等、全く不可能です。
 その分 自由に独り歩き出来るとは言え、全てを自分でこなすのが基本。
結果として、私が会得したのが「如何に 自分で手早く簡単に。
でも あまりみすぼらしく見えない方法」。
そんな「私流簡単オシャレ術」も沢山ちりばめました。
 云って見れば 私の「楽屋裏公開」です。

 かなり「恥を忍んで・・・」気分で書いたのがこの本。
何かのご参考にして頂ければ と御一読を心からお願いする次第です。

2010年6月14日月曜日

欲しいスニーカーが無い!

 何処に行っても、どの店でも溢れるほど多種多様なスニーカーが並んでいる。
カラフルなデザイン、歩きやすい機能 女性向けにはかかとを高めに作ったものまで 「申し分無いほど十二分にある」と多くの人は考えている。

 所が 私にとっては 「これ」と選びたい品が全く見当たらない。
「大人の女性の為の おしゃれ感覚なスニ―カー」。 これこそ どこを探しても 皆無。
かかと部分を高く作ったデザインは昔から存在した。私自身、パリかミラノで見つけ、結構愛用したものである。
つい何年か前から 日本でもABCマート等で売られ、大きな人気を呼んでいる。
でもそれだけでは 満足できないのが「私にとっての 大人の女性向きオシャレ感覚スニーカー」。
 例えば、「四つ星ホテルに ディナーを食べに行く時にも 素敵なオシャレと感じられるスニーカーが在ったら・・・」 それが私の求める品。
 価格やブランドの問題ではない。ポイントは2つ。
・ファッション性
・機能性
私がここまでスニーカーに拘るのは既に何十年も以前からの事。
その理由は至って簡単。「歩きやすくて」「疲れない」と言う実用性に他ならない。

 世の中には この歩き易さを強調した女性向けの靴が沢山 売られているが、どれもがボッテリとしたデザインばかり。これを履くと、どんなに素敵な女性でも「おばさん」に見えるものばかり。ほんの僅かでも「これなら」と許せる品は未だに全く見かけない。

 日本だけでなく世界的に 「働く女性」や「オシャレ好みの高齢者」が増え、その要求や美的感度が益々高まっている現在。何故 こんな切実な需要に応えてくれないのか、理解できない私。
何しろ皮革の靴と スニーカーを比較すると 使用時の疲労度は何十分の一とも言える。ましてハイヒールともなると その差は絶大。
常にフラットな靴を履く男性には 理解を超える大きな違いである。

 所が、現在のファッションを見ると ヒールはより高く、時には12センチの品も珍しくない。しかも針のように細いヒール。
これで働くのは 「とても無理」と思うが、「トレンドに弱い大半の女性達」はかなりの我慢をしながら堪えている。
耐えきれなくなった結果が ペタンコフラットな「バレーシューズ」の流行を生んだり、ストームと称する厚底デザインを流行らせたり。
 日本だけでなく、恐らくアジアの国々はじめ、世界中で 「このトレンドを追い、結果として何年か後、外反母趾に悩む女性」が沢山生まれるのでは、と心配する私。

 それを救う最高の道こそが「おしゃれスニーカー」の誕生である。
しかも ほんの僅かなデザインへの配慮だけで 十分に製作可能の上、スニーカーの更なる用途拡大にもつながるだろう。
現在、メーカーの多くが考えるのは「素材や造りで 機能性を高め、そこにカジュアル感覚のデザインを施すこと」が中心。
それだけでは 私の望むものは生まれない。
もっとシンプルであったり、エレガントであったり・・・
 例えば これからの夏場には純白素材で靴底までの全てを纏めるとか、秋から冬なら つま先に黒を配したベージュ、或いは全体を黒や茶、グレー等の一色にする。
全体の形も ほんの僅か繊細な味に整えれば完璧。
それほど難しいものでは無い筈。楽しさや変化等、オシャレ度を高める道も沢山考えられる。
「シンプル」とは おしゃれ変化を より多く楽しみ、 自分らしさを大きく作り出せる事でもある。
 ぜひとも、どこかのメーカーが 手をつけてくれないものかと 切に願っている。私の考えを取り入れて下さるなら 何時でも協力したいと思う私である。

  

2010年6月10日木曜日

山本一力「江戸は心意気」

 この5月30日に朝日新聞より出版された山本一力氏の作品を読み 彼への「ファン度」と尊敬が更に大きく上昇した。
これは物語と言うより 江戸に関する多くの史実や知識。それと彼自身の人生を絡めたエッセイ集に 2編の掌篇小説からなっている。
私にとり「山本一力の小説は読み始めると、終わるまで どうしても目を離せないもの。他の事が一切ストップしてしまう危険性をはらんでいる。それを覚悟で読み始めねば」という存在。
本棚には10冊余りの作品が並んでいる上、何冊かはニュージーランドに住み、日本の書籍入手困難な娘にも渡っている。
中にはまだ読んでいない「私自身への御褒美用」作品(何かをやり遂げ 時間を持てる時に読む為)もあり、直ぐ取り出せる所に並んでいる。

 今回の本はエッセイを主としたもの。「エッセイだから 何時 どの個所でも目を離せる」と考えたのは大違いだった。彼の小説同様に ひたすら読み進めずにはいられなかったこの作品。
ともかく読者を引き込み 強い感動と共感、納得する喜び、そして莫大な知識への驚き等で 優しく、強く捕まえてしまう。
そこには現在の江戸ブームと称する現象を遥かに超えた 彼の描く「理想の日本人像」が感じられる。
又、「ここまでしっかりとした歴史事実をどうやって調べるのか。コンピューター的な頭脳と整理力の持ち主か」・・・こんな疑問への回答の一端も覗ける。
 江戸時代の庶民を描く彼、「商人の知恵、職人の技、武家の誇り したたかな江戸の気骨がそこにある!」と本の帯には記されている。 
実在した人物の生き方を記し、同時に山本氏自身の生い立ちや現代を絡めた部分が 小説とは又違う興味と共感、感動そして温かさで 小説以上の魅力に引き付けられてしまった。そして単なるエッセイとは異なるこの素晴らしさは 彼自身の生き方から出たものと 勝手に納得する。

 所で 山本氏とはラジオ「ニッポン放送」の番組審議会で度々お目に掛かるが、ともかくエネルギッシュで真直ぐ。お住まいから有楽町のニッポン放送まで お迎えのハイヤーを断り かなりの距離を自転車で来られる。しかも足元をみると下駄に柄入りの足袋。「カラフルなスニーカーが カジュアルな装いに似合って・・」と眺めたら、下駄と足袋だったのには驚いた。けれど不自然さは全く感じられない見事な調和ぶり!! 素敵な美感覚。

 度々お目に掛かる機会を持てる親しみと 私が遥かに年上というおごりもあり、熱烈なファンでありながら 図々しく意見を吐かせて頂く事もある。
例えば、先年「明治座」で公演された「大川わたり」について「脚本にも注文をお付けになるべきでは・・原作の情感が出て居なかった」等。
 今回のエッセイについても これだけの大感動を受けながらも、一節だけ 疑問を感じた。
「あいさつの本来は」の章で「メスの思考プロセスは、オスよりもはるかに現実的である・・・その行為がすぐさまご利益につながるかどうかを重視する」のくだりがそれ。
おそらくは 動物一般を示す為、あえて「女性」「男性」と書かずメス、オスの表現を使っていられるのでは と思いつつも、「女性の一人として苦言を進呈したい」私。
「確かな見方」ともいえる半面、断定されると反発したくなる。個人差、年代やその人の環境、経験等で大きく差が有るものでは?

 さて、より多くの方々に ぜひとも この素晴らしい感動の一冊を読まれた上で この一節への御感想を伺いたいものと思う。

2010年6月5日土曜日

ディオールの秋冬は

 「ファッションに興味の無い人でさえ クリスチャン ディオールの名を知っている」。世界で最も高名な名前の一つがディオール。
最近は 中国でも盛大なイヴェントを開き 大きく注目を集めた。
 2010秋冬コレクションを御紹介すると、先ず感じられるのは「マスキュリン・フェミニン」それもかなりクラシックモダン(18世紀のフローラルプリント等さえ取り込まれている)。 男性ファッションの原点といえる英国出身のデザイナー・ジョン ガリアーノの 得意とするファンシーさをフリルやレース、手の込んだ刺繍で表現する一方では、「男と女」という対極イメージの組み合わせが見られた。 これらの作品創りに携わるのは 伝統ある技術を持つアトリエの職人たち。目を近付けて見るとその細かい手仕事の凄さには圧倒される。透ける素材が波打ち レースに立体的な扱いのビーズ刺繍。それと組み合わせるのが 典型的英国味の男物的デザイン。
この「男女対極の組み合わせ」は 今回多くのデザイナー達が見せた中で ガリアーノは正に抜群の美しさと冴えを見せつけている。

 ジョン ガリアーノがこのメゾンのデザイナーに就任したのは1997年.衰微を懸念されていた当時のパリ オートクチュール界にとり 正に歴史的な出来事であった。それ以前、ロンドン時代の超パンクコレクションから見続けて来た私も 彼の多面にわたる異常ともいえる才能に 目を見張った記憶が鮮明に蘇る。
 以来10年余、その作品は シーズン毎に大きく変化し時代を捕え 人々を虜にし続けてきた。
こんな背景を思い描きながら見て頂きたいのが今回の作品。1点の作品の中にも実に多くのメッセージが込められている。
「女」表現には 若さ、楽しさ、セクシーさ、繊細さ、大胆さ・・
「男」表現にはクラシック、伝統、英国、紳士、乗馬、・・
恐らく 多くの要素の混ぜ合わせこそ「現代女性」の望む姿なのかもしれない。

 洋服1点を眺める場合にも。角度を変え、分解して見るとそこからは「これからの世界」が鮮明に感じられるに違いない。
正に「時代を指し示すディオール」の秋冬作品である。

2010年5月31日月曜日

オルセー美術館展


 2010年5月26日ー8月16日迄 国立新美術館で開催されるこの「ポスト印象派」の作品115点を集めた今回の展覧会。
パリ・オルセー内の 印象派を中心にしたギャラリー改修作業中 此処に置かれていた作品をオーストラリアのキャンベル、東京、サンフランシスコの3都市で海外展を行うというもの。
それだけに 過去3回行われた「日本でのオルセー展」に比べ最大規模の作品数が見られる。
今回初来日の作品だけでも60点にのぼるとか。

 展示は モネの「日傘の女性」ドガの「階段を上がる踊子」等を含む第1章に始まり ボナールやド二等の10点からなる第10章迄に分けられ、時代と絵画変化の工程が非常に分かり易く部屋分けされている。

 日本でも多くの人が好む、セザンヌ、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、そしてモネ等は作品数もかなり多い。
 又 非常に独自性の高いアンリ ルソーの大作2点「戦争」「蛇使いの女」は目を引く。

 いずれにしろ これだけ多くの作品が 系統立てた形で鑑賞できる今回のオルセー展。恐らく2度と日本では無いかもしれない。

 見る人にとり、其々の驚きや喜びを与えてくれる今回の分類展示。例えばあのセザンヌのセザンヌ派に 1917年のピカソの作品が入るとは、私には驚きであった。
又、同時に喜びや感動をくれたのは、オルセー美術館誕生前、何年にもわたり パリで少しでも時間が有ると必ず立ち寄り 静かな安らぎをもらったジュ・ドゥ・ポーム美術館の作品の多くがオルセーに移された為、昔ほど目にする機会が無くなっていた沢山の印象派作品と再び親しく出会えたこと。
此処に置かれていたドガもそうだが、モネについては「時間を追って光線の変わるルーアンに建つ大聖堂の何点もの作品」 そして1986年完全復元が大きく話題を呼んだジヴェル二ーの花と水連の庭、更にモネの集めた日本の「浮世絵」等。
これを楽しみに幾度足を運んだ事か・・・
 又、ゴッホについては オランダのゴッホ美術館で その収蔵作品を収めた厳重な庫から 彼自身が「色の参考にした毛糸玉」や キャンバスの裏側にまで絵具がじっとりと滲みだし 彼のタッチの強さを物語る作品など見せて頂いたこと・・・
 全ての作品への感動と 私の個人的想いが重なり合い 暫くはベンチから立ち上がれなかった。
 国立新美術館の 六本木という地の利もあり、恐らくこの先、幾度も見に出かける今回のオルセー美術館展である。

 ちなみに、ミュージアムピースはかなり充実し、沢山の品が並んでいる。
先ずは「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」と題された公式カタログ。厚い立派なカタログは何を置いても欲しいもの。
 その他の出版物として面白く、又大きく知識を与え、旅行ガイドにさえなりそうなのが 世界文化社「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」オフィシャルBOOKである。
「名画から紡がれた小説と印象派巨匠のアトリエ紀行 辻仁成流・絵画鑑賞術」。
諸々の絵ハガキその他のグッヅはともかく、この2冊を手元に置き じっくりと読めばこの展覧会を何十倍も楽しめると言うもの。

 二度と無いこの素晴らしい機会をくれた主催の国立新美術館、オルセー美術館、日本経済新聞社に敬意と感謝を捧げつつ、より多くの方々に楽しんで頂きたいと思うこの展覧会である。

2010年5月27日木曜日

ブルーベリー ドリンク

 「ブル-ベリーは目に良い」。誰もが良く知っている上、多くの健康食品・サプリメントにも見られる。特に 現代の生活に欠かせないIT関連器具を 連日長時間、パソコンに向かうだけで無く、携帯に「アイパッド」等 読書にさえ これが大きな位置を占めるとなれば・・・多くの人が「目についての疲れ、不安感」を持つのは当然のこと。
特に 私は若い時に出会った事故のせいもあり、「目についての不安」は絶大。
 そんな時 紹介されたのが那須高原にある「ジャム工房 ベリー」の作る この「ブルーベリー ドリンク剤」。
何と 生ブル-ベリー1㎏からたったの5本強しか作れないという。純粋無添加。一本に 注目の健康成分アントシアニンが25mmlも入っていると言う。
飲んでみると 爽やかでほんのり酸味のある濃厚な味わい。どちらかと言うと「酸っぱいもの 苦手」の私にも 美味しく感じられる自然の味。
目下こうした純粋な形のドリンク剤は未だ市場には全くないのでは、と言われている。
 これを手掛ける「ジャム工房ベリー」は 20年ほど前から独自のブルーベリー農園を持ち、7月上旬―8月下旬には予約制で「ブルーベリー摘み取り」も受けていると言う。
又、「ジャム工房 ベリー」と呼ぶだけに 他のベリーにいちごやマーマレードにリンゴ等のジャム(これらが 何とも美味しい。正にやみつきになる。ほどよい甘さが最高!)から 希少な日本ミツバチの蜂蜜も季節限定で売っているとか。
 紹介して下さったのは、BSジャパンで長期間(土・日)放映している番組「ファッション通信」のナレーション担当の“超売れっ子ナレーター”真地勇志さん。
「那須に行くと度々寄るんですよ。とっても可愛いい良い店。そこがごく最近作りだしたのがこのドリンク」と2本下さった。

 ブログやメールに本の原稿・・・ともかく「目を酷使」している最近の私にとって 何とも嬉しい情報&プレゼントだった。
きっと 同じ思いをしていられる方は多い筈。改めて連絡先その他を御紹介する。
 ・ジャム工房 ベリー
  325-0301栃木県那須郡那須町湯本415
  TEL 0287-76-6139
  OPEN/AM10:00-PM5:OO(木曜定休)
  (ベリーの苗木も販売しています)
  ちなみに このドリンク剤は一本650円
  1注文15セットと6本セットを検討中とか。
「私も行ってみたいな」と愛らしいお店の写真を眺めながら すがすがしい空気を想像し、ジャムとドリンクを楽しむこの頃。飲んだら直ぐに「効果が出る」と言えないのは当然だが 気分だけでも 大いに爽やかである。

2010年5月23日日曜日

BrunoMagliの靴

 大昔から「靴大好き」な私。日本でも外国でも 靴屋さんの前では覗かずにいられない。そんな私が長いこと愛用し 沢山買ってきたのがブルノマリの靴。
イタリーに出かけた時だけでなく、日本でも特約している「銀座かねまつ」で探すなど、このブランドへの愛着は格別かもしれない。何といっても イタリーの靴職人の技は「世界一」。その中でも古い歴史と伝統を誇るこのブランドだけに、「歩く」実用性と「ファッション」的な美しさを兼ね備え 私を虜にしてきた。

 この秋冬に向けた作品展示会が行われたこの5月。
「気品」と「自然」を基本コンセプトに、今の流れを取り入れながらも 力強く歩ける靴の数々をも見せた。現在のトレンド「超ハイヒール」。10センチを超えるヒールさえ珍しく無い今。少しでも歩きやすくする工夫として生まれたストーム(厚い靴底)を綺麗に隠す「インストーム」が美しくエレガント。加えて安定感の大きいプラットフォーム(船底型ともいう)がより実用的な低めから、ホッソリ作った高めの靴まで見られる。 素材はクロコ、スネーク、リザード等変化は多く、型押しや他の素材とのコンビネーションが美しい。
 色は「秋冬の自然から」。「岩」「空」「森」のカラー。
濃い茶にベージュ、岩のようなグレーの濃淡に黒、森の中のベリーやサフラン、そして緑・・・
 ヒールの先3センチほどを金属にする等、痛み防止やファッション性を加えたアイディアなど、絶えず進化するこのブランドの真価を見る思いである。

 それらの靴を大きく引き立てるのが「コーディネイトされたバッグ」。中でも レオパードのパンプス、ブーツとバッグは強く目を引く存在。
 
 勿論このブランドの素晴らしさは「女性専用」ではない。
しゃれた男性用には スタンダードなシティ感覚から 活動的なリッチスニーカータイプまで揃えている。

 ブルノマリの本社・工場のあるボローニャは イタリ―の重要物造り拠点の一つ。特に皮革関係については格別の土地である。
 取材の為 此の地に 一体幾度訪れたことか!
その都度 職人技や人々との交わりから受けた感動。そしてこの地ならではの料理の美味しさは忘れられない。

2010年5月20日木曜日

ジョルジォ アルマーニ

 ファッションの世界は気が早い。もう秋から冬へのコレクション発表終了・・・受注、生産の期間を考えるとどうしても作品発表の時期は早くなる。パリに先立って行われるのがミラノ コレクション。

 「帝王」と呼ばれるアルマーニは服・アクセサリーから居住空間の品々迄 10を超えるコレクションを手掛けている。
既に70代半ばという年齢とは無関係に エネルギッシュで 素晴らしい作品を常に見せてくれる。しかもクリエーターでありながら 経営者としても凄い実績と発展ぶり。レストランからホテル等 かなり以前から手掛けてきたのも彼。
私にとっては正に「知的なスーパー巨人」アルマーニ氏である。 
 今回は「ニューシック」「メトロポリタングラマー」「アップタウンガール」と名付けた3つのコレクションラインを発表。
全体として感じるのは「その原点を思わせながら、活動的。マスキュリンとフェミニンの微妙な組み合わせ」。
メンズ的なジャケットの一方で 流れるラインのドレスがみられ、ツイード素材と共に 透けるオーガンディーが使用されるなど。全てに「知とエネルギー溢れる活発な若さ、しなやかさ、エレガンス」を漂わせる。
カラーも彼らしいグレーやベージュ、黒など濃淡混ざり合い、そこにハッとする鮮やかな色が配されている。 素材面で私の目を引いたのは毛皮・・所がその大半が本当の毛皮ではなくシンセティック、人工である。チンチラありブロードテイルにフォックス風まで種類も多い上 何とも見事な出来。触っても本物そっくり、温かさも十二分。彼らしい「生物多様性保全」への意識と、イタリーの素材作りの成果だろうか。
 彼がホテルをあちこちに作っていることは広く知られているが、そこで使用されるアメニティーを見て感心した。シャンプー、リンスから果ては 綿棒に至るまで全てが「歴然アルマーニ テイスト」。彼の手に掛かると世界はすべてアルマーニ テイストになり シンプルでありながら「知的な美」と「心地よい安らぎ」を感じさせてくれるのかもしれない。
 
かつて幾度か彼のご自宅に伺い インタヴューした時の部屋、家具その他を改めて思い出す。
 加えて 私が忘れられないのは、来日コレクションを青山外苑絵画館前に巨大テントを張って見せた時の事。
故マイヤー日本社社長がショー直前に 大きな花束を私の席に持ってこられ「フィナーレ後にアルマーニ氏に渡して下さい」と置いて行かれた。気付けば 私の席は長い長いエプロンステージの先。
「アルマーニはショーの後 エプロンステージを歩く事をしない。 出た場所に立った後 すぐ引っ込むのが常。さあどうしよう!」
私の右側に座っていられたのは俳優の宍戸錠さん。「お願い、助けて頂けないかしら」と事情を話すと 「ヨッし!!」のお返事。
見事なコレクションのフィナーレが終わりかけた時、彼は花束と私の腕をグイッと掴むや、脱兎のごとく正面まで走った!
やっとたどり着くとアルマーニ氏は私の手を取りステージへと引き上げてくれ、無事に花を渡してハグ。ヤレヤレ・・・
ショー終了後 改めて宍戸さんを御紹介した事が思い出される。

 自宅のジムで毎日のトレーニングを欠かさないという彼。いつまでも「帝王の座」を保ち続ける事間違い無しと 今回も強く感じたコレクションであった。