此のところ、連日TVや新聞を賑わす「100歳以上の高齢者行方不明」の話題。
8月5日の時点で何と全国で57人に上っている。
私自身が 親や祖父母、又周りの人々を 想う時「そんな事、在り得ない!!」との気持ちが非常に大きく、全く信じ難い。
けれど、その一方で想い起こすのは 近年に見た「2本の名作映画」・「おくりびと」と「おとうと」である。
「おくりびと」で涙を誘った父親の死。息子は「女を作って出て行ったきり、消息を絶った父親の死を聞いても許す気になれないが、妻や周りの人々の言葉で 見届けに行く。死んだ父の握りしめた掌の中に幼い日の自分が彼に渡した小石を見つけ、父への気持ちを大きく変える」。 多くの人々が涙したあのシーン。
一方の「おとうと」は 酒におぼれ、何時も迷惑をかけ続ける弟への「姉の愛」と「ホームレスを優しく介護する人々」の存在が 観る人の感動を誘った。
いずれも100歳よりはるかに若い人物の話とはいえ、所在不明になる可能性としてみれば 同じ。
「其の人を想う人間の存在」が感動を誘ったからこそドラマになり得た。と云う事はドラマに成るほどに特別なもの、それが「現代の肉親への想い」なのだろうか。
現実には50歳、60歳で所在不明のまま過ごしている人は莫大な数に上るに違いない。
当初は「直ぐに帰って来るかも・・・」と待っていたのが5年10年と経ち、気付けば100歳以上になっている。そんなケースも結構多いのかもしれない。
又、兄弟姉妹から その子供世代までも高齢者、しかも認知症等の場合は 其のまま放置したとしても 不思議ではない。
加えて 「個人情報厳守」の壁を乗り越え 役所等が立ち入る事の難しさも想像される。
改めて「現代社会の人間関係」の希薄さと、高齢化社会の現実に心を強く痛められた この問題である。