フランスで大評判の新作品
「字幕が入った直後 初めての試写」とメールでのご連絡に「何をおいてもぜひ拝見したい!!」と出掛けたのがこの作品。
噂は聞いていたものの、驚いたのはサンローランが生き返ったのかと思うほどに そっくりな俳優!!
コメディー・フランセ―ズのピエール・ニネ。
イヴの「相棒」とも言える 経営面その他全てを仕切るピエール・ベルジェを演じるのも同じ劇団の俳優。
「イヴと一緒に集め、愉しんだこの美術品を 一人で眺めるのは 辛過ぎる!」と言うベルジェの言葉がささやかれる画面。 クリスティーズのオークションに掛ける為、作業員たちの手で美術品が次々と運び出されてゆく。そして映像は若い日のサンローランを映し出す。
黒縁の眼鏡から見える はにかんだ 優しい眼、ささやかな笑みを現す口もと 細く長身な姿。
その目は若い男に向けられている。
疲れ果て 旅立ったディオール氏の後継者として 21歳という若さでデビューし、大成功をおさめた仕事面はサラリと、私生活をより重く扱った今回の作品。天才の持つ弱さ、人生の迷いなどが胸を打つ。そんな彼を支え、全てを仕切ったベルジェ氏。
この二人を中心に描いた映画。
長い間、彼の表と裏の面を眺め続けて来た私だけに、想いはより深く大きい。
華やかなコレクションや、多くのセレブに囲まれる彼、その一方では 疲れ、酒と薬に、よろめきながらもなんとかフィナーレに出る彼。
遂に「サンローランが死んだ」と噂が広まり、更には「サンローランは死んでいない」との新聞記事が出た事等も想い出される。
死亡記事は普通でも「死んでいない事」が新聞記事になるなど前代未聞。
今は亡き彼を想い、様々なシーンがこの作品とダブり 見えない場面を思い起こすなど 何とも深い 切無い想いで眺めたのだった。
彼が常に選んで居たコレクション会場、ホテルの大広間。
エプロンステージ正面に作られたモデル達の出口は溢れんばかりの白い花で大きく縁取られ、モデルのかぶる帽子が大きなシャンデリアに当りそうになる、正面やや左手には短い髪のジジ ジャンメール(人気絶大なダンサー)や金髪をなびかせたカトリーヌ ドヌ―ブが座って居た事等を想い出す。
あれはかなり昔。YSLの特別な記念日のパーティーがシャンゼリゼ沿いの大キャバレー・リドで行われた時の事、元アメリカン ヴォーグの編集長、彼の才能をいち早く認めたダイアナ ブリーランドが YSL作品の一つ、重いほどに金のビーズ刺繍をたっぷりと付けたジャケット姿で出席され、一方では 黒のタキシードで輝く様に美しかったカトリーヌ ドヌ―ブの姿も想い出される。
その他、テアトル展(舞台装置、衣装などのデザインを好んだ彼)、化粧品スタートの発表会、ルーブルのテントで行われたパーティ、メゾンで度々お見かけした彼の母上のお姿等等。
中でも私自身にとって強く記憶に残るのは コレクション直後のバックステージでTV番組の為のインタヴユー。其のシーズンは何人ものデザイナーに 「貴方にとって オートクチュールの存在とは何ですか?」と質問したものだった。
YSLにも同じ質問をすると、彼は あの静かの頬笑みをたたえた顔で10秒ほど考えた後、「It’s my heart !!」と 静かに答えられた。
その時、後方からベルジェ氏が大急ぎで近寄って来られる姿を カメラがとらえて居た。
このシーンは未だに番組の宝として、保存されている。
その他、パリ中心部から少し離れたサッカー場で行われた大回顧ショー、そして引退発表時に行われたショ―。
更には彼の生前から、毎年送られて来たクリスマス・カード等等。
2010年8月 パリのプティ・パレでおこなわれたYSL衣裳展を観た時、クリスマスカードを集めた小冊子を求め 同じものが我が家の倉庫に眠っている事を考え、感動と悲しみを新たにしたのだった。
現在、YSL社はグッチグ ループに売却されたものの、彼自身の作品は生前、ベルジェ氏の造った巨大金庫の様な倉庫に 温度・湿度等 完璧な管理下で保存されている。
この設備を公開した日の事も 忘れられない。
この映画から 私の中には更に多くの記憶が甦っている。
20世紀を代表する 偉大なクリエイタ―の存在はファッションと無関係な方々にとっても 興味深いに違いない。
今秋角川シネマ有楽町他でロードショー
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